恋と窓シリーズ------恋と窓の進化形 -10,000hit 記念-

恋と窓シリーズ

恋と窓の進化形 -10,000hit 記念-

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03

「か、叶…」
俺が戸惑いつつ呼びかけると、叶ははっとして俺を凝視した。その瞳にみるみる嫌悪感が広がってゆく。
――ど、どうしようっ!!
浮気現場に間が悪く恋人がやってきたという、ありがちなシチュエーションそのものにくらくらと眩暈がする。陣野は上半身裸で、俺はといえば下半身はすっぽんぽんだ。咄嗟にシーツを掛けてもらったとはいえ、すでに手遅れだったような気がする。この状態でベッドの上に並んでいたら誰だって事前か事後だと思うだろう。
俺はおろおろと陣野を見上げた。先刻はいきなり叶が現れうろたえた様子の陣野だったけれど、今は怪訝そうに眉を寄せ静かに叶を見つめていた。
「じ、陣野……んん…っ?」
不安を込めて呼びかければ、陣野は叶を睨んだまま俺の口を手で塞いだ。次いで優しく頭に手を置く。
――何かを暗示するような動作。
口出しするなって? そういうこと――?
不安な気持ちのまま見つめていたら、陣野はふと叶から視線を外すと俺に向けて笑みを浮かべた。その、まるで大丈夫だと励ますような穏やかさ。
頷きながらされたそれが頼もしく思えて、俺もほっとして微笑み返した。
「晴季、隣の彼とずいぶん仲がいいみたいだけれど、これはどういうことかな?」
「……っ」
けれど叶に怒りを含んで問われ、途端に表情が固まった。
「晴季?」
露骨に震えあがった俺に気づいた陣野が、身を屈めて俺の顔を覗き込んでくる。じっと心情を探るように見つめ、そしてなんとも言えない変な顔をした。
「晴季、お前……」
少し体を離して、考える風に自分の顎をさする。陣野はひたすら俺の顔を注視した。
―――ど、どうしたのかな……?
対して俺はその強い視線に耐えられず、顔を逸らし横目でチラチラ陣野を窺う。何やら陣野から不明瞭な呟きが聞こえるけれども、はっきりとは聞き取れない。俺はただその場の緊迫した空気を感じながら、身の置き所なく、まんじりと陣野が何かに納得するのを待った。
そうして待つこと数分―――。
やっと陣野が「ああ、そういうことか」と軽く頷いて顔を上げた。そして叶に向けられて覗いた瞳はどこか好戦的なものだった。
「あんたがうわさの叶クンか……。話には聞いていたけど会うのは初めてだな」
「…………。」
「俺は陣野。一応こいつの親友?」
親友?って…、なんでそんなフザケタ疑問形つかうんだよ……!
叶を恐る恐る見ればさらに顔を険しくしている。俺は隠れるようにシーツを目元まで引き寄せた。
普段穏やかな叶が怒ると怖い。ものすごく怖い……。
「陣野君ね……。ここでいったい何してたの」
……心なしか声も低い。けれど陣野は堪えた様子なくあっけらかんと答えた。
「休憩?」
「なんでそんな恰好なのかな」
「この状況を見れば分かるだろ。そういう気分だったんだよ。な?」
同意を求めて陣野はちらりと俺を見た。
うわー、俺に振るなっ。ていうか、どういう気分だ!
そして陣野は続けざまにとんでもないことを言ってのけた。
「よかったら叶クンも一緒に寝る?」
ギリッ…。
鈍く歯軋りの音が聞こえたかと思うと、叶は憤怒の形相で陣野に近づき拳を振り上げた。
「か、かなえっ!!!」
拳が陣野に当たる寸前になってぎゅっと目を瞑る。
すぐさま弾けるような肉のぶつかり合いが聞こえ、背筋が凍りついた。
―――叶っ! 陣野っ!!
不意に静かになって、怖気を抑え薄目を開けると、陣野が叶の拳を手のひらで受け止めていた。
「陣野…」
よかった……。最悪の事態は免れたようだ。
ほっとして陣野を見上げると、陣野はなぜか可笑しそうに喉を鳴らしていた。
「陣野…?」
ニヤッと口が歪む。
「これで決定的だな……。晴季、お前のつき合ってる奴ってこいつのことだろ」
「え、えええっ!? な、なに急にっ」
思いもよらなかった指摘に、心臓がドクドク飛び出しそうなくらい波打ち出す。
かたや陣野はうろたえた俺を見て呆れた物言いをした。
「普通、男同士ベッドに半裸で、しかも片方がケツ出して寝ていたら、侮蔑か好奇の目で見るだろ。なのに、こいつのときたら尋常じゃないくらい怒り憤懣だし、あからさまに嫉妬してるとなれば、そう考えて当たり前。―――だろ? 叶クン」
「……きみには関係ない」
叶は腕を下ろして手をさすりながらブスッと言った。
「確かに関係ない。けれど俺はさっきも言ったように一応こいつの親友だからさ、心配したくもなるわけだ」
「心配?」
「彼氏のケツにローター突っ込むなんてどんな女かと思うだろ。ま、実際はあんただったわけだが」
「ああ…、晴季の介抱をしてくれたんだね」
介抱って……。グサッと胸に棘が刺さったような痛みが走る。
実際そうなんだけど、事実なんだけど………、叶にそうは言われたくなかった。
「あんたとは会話がしにくいなぁ…」
陣野は少し途方にくれたような顔をして後ろ手にベッドに手をついた。
叶の言葉は丁寧でも、その口調は刺々しい。まともに陣野と話をしたくないというのがありありと伝わってくる。
陣野が「よくこんな奴とつき合ってんなお前」な視線を送ってきた。俺はムッとして「お前が叶をそうさせてるんだろ」と睨み返す。
陣野はやれやれといった風に溜め息を吐いた。
「介抱って、あんたね。そもそも俺らをこういう状況に追い込んだのは叶クンでしょ」
「まさか僕のせいっていうの?」
「そのまさか。晴季は限界まできてたんだぜ? 楽にしてやるのが親友としての良心だろ」
「僕はちょっと気持ちよくしてあげただけなんだけどね」
「わざわざ? こいつが俺と会う日を選んで?」
「…………。」
「それで? こいつと俺を侮辱して、あんたの気は済んだのか」
叶は目を鋭くして、陣野は微かに笑った。
「なぁ、晴季」
「な、なに?」
陣野は叶を見つめたままスッと表情を整えた。
「お前さ、俺がどんな奴とつき合ってるのか知らないよな?」
「うん……?」
つき合ってる奴って、彼女のことだよな――?
突然どうしたんだろう……。
俺は首を傾げた。
確かに陣野の彼女がどんな娘なのか俺は知らない。陣野は高校入った頃からバイトに明け暮れて、彼女をつくる余裕なんてなさそうだった。それでも何気ない仕種や雰囲気からずっと誰かいるんじゃないかと疑ってはいたけれど……、いつも笑ってはぐらかさればかりで、なかなか教えてくれなかった。
「あいつさぁ、体が弱いんだ」
「え…」
「あまり外に連れ出せないし、だから気安くお前に会わせることができなかったんだ。………それにさ」
陣野は詰めていた息を吐いた。
「それに……、俺の相手も女じゃない」
動揺で揺らいだ瞳を真っ直ぐ見据えられる。
「――男だ」
驚愕に目を剥いた。
オ、トコ―――?
……いま確かにオトコって言ったよな。
自分のことは棚上げに、当たり前かもしれないけれど普通に女の子を想像していた。昔から冗談めかして女紹介しろだとか、お前の連れに誰か可愛い娘はいないのかなどと言われてきたから―――。
「……そうだったんだ…」
同じ境遇なのにぜんぜん気がつかなかった。
「今まで黙ってて悪かったな」
一応もらった謝罪の言葉は、陣野らしいと言えばそれらしく、まるで悪いと思っていないような素っ気なさだった。
「そ、それは……俺もだし」
「ああ、まさかお前もだとは思わなかった」
「ハハ…、そうだな」
なんだかものすごく、中学高校と今までの時間を無駄にした気分だった。もしお互い男とつき合ってるんだと知っていれば、もっと有意義にいろいろ相談し合ったり悩みを打ち明けたり、ときには惚気たり……、なんて出来たかもしれない。
「早く言えよな…」
ちょっと口を尖らせて言えば、陣野は「それはこっちのセリフだ」と嘯いた。
そしてばつ悪く笑い合ったところで、それまで黙って俺らのやり取りを聞いていた叶が口を挟んできた。
「この場合、陣野くんも浮気したことになるのかな」
またもや空気が固まる。
陣野はさっきよりも増して剣呑な目を叶に寄越した。
「だから、あんたがそういう状況に追い込んだんだろ。それに浮気じゃねえ」
「じゃあ、どうやってローターを抜いたの」
「あんたなぁ…っ。その玩具のせいで指先までプルプル震えてたんだぞ、こいつ。俺がやるしかなかったんだよっ」
陣野がバッと俺を振り返った。あまりの威圧感に思わず頬が引き攣る。
憤怒の形相で俺を睨みつけたまま、けれど陣野は何も言わなかった。というか罵倒したいのを無理やり押さえ込んでいる感じだ。
言いたいことはなんとなく分かる……。
――テメェの趣味を疑うぞ!!
だ、ぜったい………。
耳を塞ごうかどうか迷っていると、怒声の代わりに地を這うような低い声が轟いた。
「おい、晴季…」
ひぇー、なんで怒りの矛先が俺に向くんだよ。
ビクビクしている間に陣野がまた声をかけてくる。
「言えよ」
「な、なに……?」
「浮気じゃないって言え」
「……え」
「別に責められることなんてしてないんだ。だから、そう言え」
「で、でも……」
「元はといえばこいつが撒いた種だぜ? それをなんでこうも食ってかかられなきゃならないんだよ」
「……それは…」
「本当は今すぐにでもこんな男とは別れろと言いたいところを、これでもお前の男なんだと譲歩して抑えてるんだぞ俺は」
「そんな……」
「おい、早く言えよ」
「……陣野…」
ちらっと叶を見ると表情無く佇んでいた。何を考えているのか読み取れない顔で――。
それだけで忽ち俺を心細くさせる。
言うだけなら簡単でも、もし許してくれなかったら? 別れるとか言われたら……? 怖くて言えないよ。
俺は眉を下げて陣野を見た。眉間の皺を険しく刻んで、早く言えと顎をしゃくられる。
「できないよ……」
「なんでだよ」
「だって…」
まさか叶に蔑まれるのが嫌だからとは言えなくて、俺は黙りこくって視線を逸らした。
「まったく……」
頭上から陣野の呆れた声が降ってくる。
「晴季……」
「……うん」
「さっき俺のつき合ってる奴、病弱だって言ったよな」
「うん…」
「あいつ生まれつき心臓が良くなくてさ、昔はちょっと出かけただけでも息切れするくらい弱かったんだ。今は手術してずいぶん落ち着いたけど、それでもまだ俺たちと同じように動くのはちょっとしんどいかな」
「……陣野…?」
いつの間にか陣野の瞳は叶へと移っていた。
まるで独白のように紡がれる陣野の口調に戸惑う。
「セックスだってあいつにしてみればちょっとした冒険みたいなもんなんだ。激しい運動となるとやっぱり負担がかかるからさ。手術で病状がよくなったとはいえ、俺は今でもあいつに触れるたびに手が震える。このまま抱いたらこいつ壊れちまうんじゃないかって、心臓がダメになるんじゃないかってさ……」
体の下に敷かれてあるシーツが引っ張られる。見ればシーツを握った手の甲が固く筋張っていた。
陣野……。
そこには陣野の気持ちが溢れていて、胸が切なくなった。
「嘘っぽく聞こえるかもしれないが、俺はあいつが俺の傍にいてくれて、たまにキスさえできればそれでいいんだ。でもさ―――」
叶を見据えて話す陣野の口は止まらない。
「あいつが泣いて頼むから。抱いて欲しいとすがるから。嫌いになったのかと問い詰められれば抱くしかないじゃないか」
陣野は不意に俯いてその表情が捉えられなくなる。
「なぁ、あんた。こいつのこともっと考えてやれよ。一緒にいられるだけで幸せだと思える相手なんじゃないのか。変な嫉妬心持ち出すなよ。こいつの優しさにつけ込んで、玩具なんて仕込むんじゃない」
「ヤサシサにつけ込む――?」
叶の唇が震えた。
「自分の願いを受け入れてもらうばかりなら、それは単なる主従関係だぜ?」
叶は苦々しそうに口を引き結び、陣野を自分のそれを閉ざした。
――束の間静寂が横たわる。
俺は初めて聞いた陣野のやるせない声音に、何の言葉もかけることができなかった。
元々懐に入れた者に対しては過剰なほど愛情深い陣野のことだから、恋人の身を慮って眠れず過ごした夜があったんじゃないだろうか。男というだけで障害があるうえ、心臓に病持ちともなれば、先行きに対する憂慮は計り知れない。
そう思えば何も言うことなんてできやしなかった。
長年つき合いのある俺にも見せなかった、ぜったい恋人には見せないだろう、陣野の悄然とした姿にただ胸が締め付けられた。
――三人三様、それぞれが自らの思いにふけ、そして………。
長くとも短くとも思えた静けさの後、ようやく陣野は頭を上げ、再びその顔を見せた。顔色は若干悪くとも、先程の怒りや憂いは消え失せている。どう心に整理をつけたのかは分からない。けれど、とりあえず大丈夫ではあるようだと俺はこっそり安堵の息を漏らした。
陣野はいつもの平静さを取り戻し、大儀そうに立ち上がった。
「叶クン。確かに俺はこいつのケツに指を突っ込んだが、熱出した奴に座薬を挿れたのとたいして変わらない」
陣野は黙然と佇む叶に向けて言い捨て、徐に俺へと手を差し伸べた。
「俺、もう帰るわ。なんでもいいからシャツ貸してくれ」
「え、帰るの?」
まさかこの状況を収拾せずに行くっていうんじゃ……。
「これ以上こいつに言いたいこともないし、ただ睨み合ってても仕方ないだろ。あとは叶クンが納得してくれるか次第だしさ。で、シャツどこ」
「シャツならそこの箪笥の二段目だけど……」
「ああ、悪いな」
陣野は抽斗を探るとシンプルなシャツを取り出し、着にくそうに俺のシャツに自分の身体を押し込む。そして、ベッドの隅に放っていたジャケットを肩に掛け、汚れたシャツをゴミ箱に投げ入れた。
「じゃ、俺行くから」
深刻な雰囲気はどこへいったのやら、陣野から放たれたその言葉は、ちょっと茶話してサヨウナラな感じの気軽さだった。
「う、うん…」
「あ、その前にトイレ貸してくれ。あとはそのまま帰るから。またな」
戸惑っているばかりの俺を余所に、陣野はひらりと手を振り瞬く間に去っていく。
「……ああ…」
俺はそんな陣野をただ呆然と見送った。叶と俺と二人きりになり、気まずい空気が流れる。叶の様子が気になって見やれば、叶は立ちすくんだ格好のまま、うつろな視線を床に落としていた。
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