恋と窓シリーズ------恋と窓の進化形

恋と窓シリーズ

恋と窓の進化形

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俺は出窓に手をかけて外の空気を思い切り吸い込んだ。数週間前までは冬特有の重苦しい空だったのが、日が経つにつれて徐々に高く澄み渡ってゆく。
春を感じるにつれ胸に湧き上がる高揚感。
それはなにも春が来たからうれしいというだけのものじゃない。俺は思わず笑みを浮かべながら後ろを振り返り、片づけ途中の新しい部屋を見渡した。
「けっこういい部屋だ」
受験でがんばって公立大学に受かったのはいいけど、やっぱり親元を離れて暮らすとなると金がかかる。この際、築ウン十年のオンボロアパートでも仕方ないかと思っていたところ、世の中不景気で家賃も軒並み下がって新築ではなくてもそれに近い部屋を借りることができた。
「景色も最高だし」
ふと叶の部屋はどうだろうかと考える。そこで俺はにやっと唇を引き上げた。
そう、俺と叶はこの春から同じ部屋に住むことになった。世間的には同居でも、俺と叶にとっては立派な同棲だ。しかも学部は違っても同じ大学。この願ってもない状況に笑わずしていられるだろうか。
俺は気持ちをうきうき弾ませながら、叶と俺の部屋を隔てるドアを開けた。
「叶、片づけ具合はどう?」
「晴季」
叶は服を箪笥にしまう手を休めて俺を仰いだ。
「こっちもいい部屋だな」
俺が部屋を見渡すと、叶も視線をぐるりと巡らせる。
「うん。こっちの部屋の方が広いよね。ありがとう、譲ってくれて」
叶がにっこりと爽やかな笑顔を向けてきたのに対して、俺はしどろもどろ顔を熱らせるしかなかった。
「いや、だってさ……」
叶が嬉しそうなのを見てとって口を尖らせる。
だって……。
「こっちにしかアレ、入らないだろ?」
俺はあえて視界に入らないようにしていた、叶の部屋に鎮座するアレを指差した。
「そうだね。でも、こっちに晴季が来てもよかったんだよ? いっしょに買ったんだし」
叶が言い終わらないうちにブンブン手と首を振った。
「無理っ、ぜったい無理!!」
ずっと目の前にあったら意識しまくって落ち着かない!!
俺は恐る恐る、チラッとだけ話題のアレに目を向けた。そこにあるのは、叶と俺が二人並んでもゆったり寝られる大きなベッドで……。
うわー、あいかわらず強力な存在感。
「なにが無理? これから毎日このベッド使うんだよ? もちろん晴季と一緒に」
「いや、まぁ、その……」
「うん」
「わ、わかってるよ!」
俺は羞恥に耐えられなくなって、そっぽを向きつつ必要以上に大声を出した。
あーもー、なんで叶は平然としているかな。
叶の様子を横目で見る。二人で大型家具店に家財道具を見に行ったときもそうだった。叶ときたらベッドを選ぶ作業のときが一番真剣で、まるで一生ものの花嫁道具でも買うかのような慎重さで一つ一つ試乗(?)しては俺に意見を求めてきて、ときには二人並んで寝心地を確かめもした。
どう考えても男二人で寝ころぶのはおかしいだろう……。
と、口には出さなくても表情でせいいっぱい表現していたつもりなのに、叶はお得意のニコニコ顔を返すばかりで、わざとなのか無意識なのか、さらりと受け流されてしまって……。俺が他人の目をおろおろ気にするなか、叶は堂々とこのベッドを注文した。
別にこのベッドが嫌なわけではない。このベッドを目にするたびに、早打ちする鼓動が情けない。
ハァ…。溜め息を吐いたところで叶が俺に手招きをした。
「ねぇ、片づけひと段落ついたのなら、服しまうの手伝ってくれない?」
「あ、ああ。いいよ」
俺は叶の傍に屈んで、綺麗にたたまれて置いてある服を手渡した。それを叶が順々に箪笥の中に並べてゆく。
本当は俺の部屋にはまだまだ荷物が散らばっているけれど、この部屋は段ボールが二つ残っているくらいで、服を箪笥に入れてしまえばほぼ完成と言えるところまで片づけられていた。
「叶は手際いいよな。もうほとんど片づけ終わりじゃん」
「けっこうがんばったからね。晴季は大学が始まるまでにゆっくり片づけたらいいよ。寝るのはこっちなんだし」
ね?と叶スマイルで言われ、今度こそ俯いてしまった。
俺が照れ過ぎなのか――?
素でそんなことを聞けるわけもなく、黙々と積んである服を無造作に渡した。

「ありがとう、晴季。これでおしまい」
すべての服をしまい終わった叶は抽斗を押し戻し、膝をパンとはたいて立ち上がった。そして、おもむろに俺に向かって手を差し伸べた。
「なに?」
「だいたい片づけも終わったことだし、さっそく使い心地を確かめないとね」
俺は首を傾げながら叶の手をとった。そのまま引き起こされて二人してストンと座る。
「え、あの、叶っ?」
肩を押す感覚に気づいたときにはベッドに身を沈めていた。もともと頬にのぼっていた熱が一気にブワッと耳まで伝わる。
使い心地って……。
それは言わずもがななことで。徐々に覆いかぶさる叶の影が近づいてくる。
叶と俺は身長も体格もさほど変わらないのに、こんなときだけ目の前の存在がものすごく大きく感じて、自分の全てをすっぽりくるみ込んでくれているように感じる。実際そうだと思う。そこにいるだけでこんなにも心が穏やかになるのだから。……いまは若干(と言いたい)落ち着きないけれども。
俺は手を伸ばして叶の頭を引き寄せた。
「……んっ…」
直前で瞳を閉じて視界が真っ暗になったところに、やわらかい感触が唇に乗る。次いで舌がするりと中に滑り込んできた。
叶と初めてキスしたのは確か中坊だったと思う。不確かなのは叶が俺の眠っている隙に何度かしたと言っていたからだ。俺が初めてだと認識しているのは中学一年のとき。いつものように叶と俺の部屋で天井一面にある星座表を見ながら話をしていて、会話の合間に叶の強い眼差しを感じて不意に視線を合わせた瞬間、叶がしてきた。
ほんの軽く羽が触れたくらいの感覚だったけれど、俺はあんぐりと声も上げることもできずに、ただ困ったように微笑んだ叶の顔を見返すことしかできなかった。
それから何度こうして唇を合わせただろう。
あのころはただ触れ合うだけのぎこちなかったキスも、今では派手な音を立てて舌を絡めるくらいの余裕がある。
「集中できない?」
瞼を上げればぼやけるくらいの至近距離で叶がこっちを見つめていた。
「……そんなことない」
「そう? ぼんやりした感じだったけど……。だったら、その気にさせないとね」
叶は器用にベルトとジーンズのボタンを外し、下着の中へ手を潜り込ませた。
「ちょっと、叶っ」
途端に体がフルッと震える。ただ手をそこに置かれただけなのに、じわじわと力を持ち始める。
「晴季、シャツの裾を持ち上げてくれるかな」
「え?」
「だって両手ふさがっているから」
「で、でもっ」
冗談じゃない、そんな羞恥責めじみたことできるか!
俺は嫌々と首を振った。けれども叶は素知らぬ顔で下着の中に入れた手をその存在を示すかのように動かした。
あん、と首が仰け反る。
「ほら、右手はこっちだし、もう片方は体を支えてるし……。だから、お願い」
正当だと言わんばかりの、実際そうでもない言い分にムッとして叶を睨みつけた。けれど、涙の浮かんだ目ではあまり効果ないような気がする。現に叶は色っぽく目を綻ばせているし……。
それに、微妙な力加減で続けられる愛撫に、とうとうあれが下着からはみ出てしまった。唇を噛んで耐えるも、体はもう叶の唇を待っている。
「……今日だけだから…な……」
俺はついに観念して、いかにも渋々ですという風に顔を逸らせながら、ゆっくり服の裾を持って捲り上げた。そろそろと上げて、肋骨が見える辺りで手を止める。
「もっと、上」
度を超えた恥ずかしさで目がくらみそうになる。けれども叶は許してはくれなくて、俺の手にキスを落とした。
「晴季。これじゃあ、胸がなめられない」
胸を愛撫されるみたいに歯を立てられて、それに耐えられずに俺は鎖骨まで一気に裾を捲った。
「あっ…」
すかさず胸に濡れた感触が降りてきた。乳首を甘噛みされて、力がかくんと抜ける。服から離れてしまった手で叶の頭を抱え込んだ。
「…叶」
「ダメだよ、晴季。手を離したら服が邪魔だ」
そんなこと言ったって手が震えてまともに掴めないんだよっ。そう言いたくても過度な感覚に、意味の繋がらない単語の羅列しか口から出てこない。それでも俺はなんとか服を握りなおした。
自分の胸にフッと吐息がかかって、叶が笑ったのを感じる。
(お前にしかこんなことしないし、こんな姿見せないんだからなっ)
そう心の中で悪態をつきながら、俺は叶の甘い攻めをぎゅっと目を瞑りながら耐えた。



***



目を開けると真っ暗闇のなか銀河が広がっていた。俺は安堵してまた目を閉じる。
「ああ、そうか……」
わずかに感じた部屋の違和感に再び瞼を上げた。
ここは生まれ育った叶の家でも俺の家でもない。
新しい、俺たちの部屋だ。
俺は腕を頭の後ろに組み天井を見上げた。そこには見慣れた小宇宙がある。
このマンションに引っ越す前、叶と一緒に部屋に脚立を運んで、天井に星座型に蛍光シールを貼った。実家の部屋の天井にあるのとほぼ同じように。ただ、少しグレードアップして細やかな星々を増やしたけれども原型は同じだ。
もう日は沈んで真っ暗で、隣に眠る叶の寝息は聞こえても、その姿をはっきり見ることはできない。見えるのは俺たちがつくった銀河だけで、本当に自分がどこか宇宙の一角に取り残されたような錯覚を起こす。
俺は少し笑った。
普通は不安に駆られそうなものなのにぜんぜん怖く感じなかった。なぜなら、どんな状況になっても隣には必ず叶が居るんだと思えたから。たとえこれからどんな困難があったとしても、きっとこの状態だけは変わらない。
不意に隣から衣擦れの音が聞こえてきた。
「ごめん、起きた?」
「うん…、少しうつらうつらしていたから」
叶が俺の腰を抱いてきて、俺も首の下に手を差し込んで叶の頭を包む。
「なんで笑ってたの」
ちょっと不貞腐れたように言われる。
「……しあわせだなぁと思ってさ。叶こそ、なんで不機嫌?」
「別に…、ちょっと置いてけぼりを食った気分になっただけ」
「ん?」
「だから、晴季が笑っているときは僕も笑っていたいっていうだけ」
思わぬ叶の我儘に俺は肩を揺らした。寝起きだからだろうか、珍しい。
「変なこと言った?」
「うん、だってそんなあからさまなこと言われるとは思わなくってさ……。こんなつき合い長いのにまだ知らない叶があるみたいだ」
腕の中の叶も笑いで揺れた。
「それはそうかもね。僕のなかはけっこうすごいことになってるよ。晴季が見たらきっと腰抜かす」
「へぇ?」
「たとえば今だって……」
俺の腰にあったはずの叶の手が下の方に伸びる。
「お、おいっ」
慌てて腰を引いたら逆にその反動で叶の指が俺のなかを勢いよく突いた。
「あああっ」
さっきの情交で慣らされたそこは難なく叶を受け入れる。まだ残っていた余韻に煽られて、鋭い痺れが背筋を走った。
「す、すごいことって――!!」
「そう、エッチな晴季を呼び起こして、晴季と気持ちよくなりたい」
「あ、あ、あ、んっ」
叶になかの一点をぐりぐりと擦られて、避けるように腰を捩った。けれど逃れようとしても腰を力強く支えられてびくとも動かせない。何も見えないなか、ただ叶の指を感じさせられる。
そのうちどんどんあそこに熱がたまって―――。
「か、叶っ、いた、いたい…」
勃起が叶の体と挟まって、あまりの恥ずかしさに体が熱った。
「…ああ」
叶が気づいて腕の力を弛める。指の動きはそのままに、叶はキスをしながら自分の身体を徐々に下にずらした。
勃ち上がった形を確かめるように、叶は裏筋を下から上へと舐め上げた。
「く、ぁああっ」
立て続けにすっぽり口に含まれて、もっと動いて欲しいのか欲しくないのか自分でも分からないまま、叶の髪の毛をくしゃっと掴んだ。
叶の舌がえらを丁寧になめとって、鈴口でちろちろと動く。舌に合わせて後ろの指の動きも激しく連動する。
たまらなくなって首を振れば、汗に濡れて束になった髪がパサパサ枕の上で音を立てた。
「あ、あ、か、かなっ、も、入れ……っ」
快感に引きつる喉でもどかしく訴えるけれど、叶の動きは止まらない。
「おねがっ、…い、ああっ」
けれども急に舌が外される。え、と思ったら会陰を揉まれて後ろの動きが早まった。
「ま、まって、それはやだ、いやっ」
先にイかされてしまう――!
俺は半ば恐怖に慄いた。一度イってしまうと、続けて二度目を要求される。後ろで快感を得ることに慣れた俺がそれをされると、ものすごく乱れてワケが分からなくなる。
もちろん叶はそれを知っていて……。
「だ、だめっ、イっちゃう、イっちゃうからっ」
枕に顔を埋めて気を逸らそうとしても、勝手に腰が快感を追うように動いてしまう。俺はせめてもの抵抗に震える手で、それでも強く根元を握った。
でもやっぱり叶には敵わなくて――。
「あ、あああああっ」
けっきょく呆気なくイってしまった。全身に力が入らなくて、腕も脚もダラッと叶に犯された格好のまま布団に横たえる。ビクンビクンと体が揺れるたびに、吐き出し切れなかった白濁がだらだら先から溢れ出た。
「うっ」
叶が離れる気配がして、急に電気がパッと点く。眩しさに数度瞬いて再び目を開ければ、幻想的だった空間が現実に戻っていた。
「叶…」
明るさのなかに叶の姿を認める。陽に焼けない白い肌を汗で光らせて、そこは雄々しく勃ち上がっていた。それを目の当たりにして、またもや羞恥が湧き上がる。
ぎこちなく視線をずらすと、叶がベッドに乗り上がってきた。俺の腹へ向かって身を屈める叶の顔を何気なしに見る。そしたら、まだ力を持っている俺のものにキスを落とした。
「ぁん…」
ぜぇぜぇと荒い息が一瞬喘ぎ声で止まる。気持ちいいというよりこそばゆくて、俺は叶の口から逃れるために身を捩った。叶のキスが遠のいて、あきらめてくれたのかと思ったら、唇に近づいて触れられる。キスに夢中になっていると足の間に叶が割り込んできて、俺は焦って唇を外した。
「ん、んんっ、か、叶っ」
「なに?」
横を向いて露わになった俺の耳を叶がくわえながら冷静な声で尋ねる。
「まだ、ダメだって、も、少し、まっ」
「なんで?」
「イ、イったばっかで」
「感じ過ぎて困る?」
叶を横目に見て頷いた。けれども叶は口を離してくれない。
「叶ってば…、もう」
俺は思い切って叶の肩を押した。叶が仕返しとばかりに俺の足首を両手にそれぞれ抱え上げる。
「……でも、もっと感じさせてあげる」
「え、あっ、かなえっ」
割れ目に固い感触があったかと思うと、叶が襞を押し開きながら中へと入ってきた。内側を目いっぱい広げられて、指だけでは拾い切れなかった感覚が一気に押し寄せた。
浅いところをじれったいくらいに何度も擦りつけられて、いったん収まったように感じた震えるような痺れがまたもや怖いくらいに全身を侵していく。
「やだぁ、あん、あん、そんな、されたら、も……」
おかしくなる――!!
一度達してしまった快感を引き出されるのはたまらなく感じてしまって、気持ちいいのか苦しいのか自分でも理解できない涙が米神を伝った。
「か、かなっ、おねが」
「もうちょっと我慢して…。晴季のイきそうな顔が好きなんだ」
「そんな…っ、あ、あん」
叶に観察されていると思うと恥ずかしくて、せめて目だけは合わないようにぎゅっと瞑った。それを機に、叶はさらに俺を煽るように性器を手で弄び始める。腰の動きと共に袋を揉んで、指先で竿をなぞられる。いつの間にか先から精液が漏れてしまって、その滑りを鈴口周りにぐりぐり塗り付けた。
「ね、かなえ、も、もう、奥まで」
こんな真綿でじわじわ締められるみたいにされるのは辛すぎる。俺の訴えに叶は腰を抱えて高く持ち上げると、直角に打ちつけて来た。
「んあっ!!」
突然訪れた快感と衝撃に俺の腰は勝手にガクガクと上下して、目尻にたまった涙が宙に散った。間断なく叶が腰を動かし始め、自然と体がベッドの上方へ上がってゆく。それを叶は強引に引き戻して突き上げた。
「あ、あ、あ、あっ」
腰が浮いているために、自分の身体が大きく波打ち真っ直ぐ勃ったあそこが根元を中心に叶の動きに合わせてオールのように先走りを撒き散らしながら踊っているのが、もろに視界に入ってくる。
「かなえぇ、電気、でんき消しっ…」
「ダメだよ。晴季の感じている姿を見ていると、僕も煽られる」
「い、いや、見るなぁっ」
顔や体を覆いたくても、手どころか足の指先までビリビリ痺れて少しも動かせない。なのに声を出せる余裕があると見てとったらしい叶は腰の速さを増した。
もう、感じて感じて……。言葉を出す行為すら奪われてしまった。
「イク? 晴季っ、イキそう?」
「ん、ん、ん、い、イキッ、あああっ」
「僕も、もう無理だ」
叶は短くそう吐き捨て、大きく腰を引くと勢いよく押しつけた。奥の奥まで打ち込まれて、俺は悲鳴のような声を上げたのをどこか他人事のように聞いた。

「晴季、だいじょうぶ?」
うっすらと瞼を開いた視線の先に、叶の心配顔があった。
「……寝てた?」
「気を失ってぐったりしてたよ」
叶に労わるようなキスをされて俺は心地よさに喉を鳴らす。叶は数度唇を舐めると、体を離して俺に布団をかけ直してくれた。
「……ぁりがと」
声がかすれて思うように出ない。
叶がフフと小さく笑った。
「喉が枯れるくらい気持ちよかった?」
悪戯っぽく言われて、いつもなら反論するところだけれど、今日に限っては素直にうなずく。すると叶が思案げに俺の顔を窺ってきた。
「晴季、ほんとにだいじょうぶなの?」
「だいじょうぶ。ちょっと疲れたけど……、よかったから」
「でも、いつもの晴季じゃないみたいだ」
「……今日は初めてここに泊まるんだ。ちょっとしたことでも喧嘩になるようなことは言いたくないよ」
「そっか……、そうだよね。せっかくの初日だしね」
「うん。やっと二人いっしょに住めるようになったんじゃん。喧嘩してたらもったいない」
俺は叶に抱き寄せられながら、ここに来るまでの経緯を思い起こした。叶と同じ大学に入るため猛勉強した日々や同棲に対する親への説得を――。
未だ俺たちの関係を知らない親父はともかく、お袋が割とすんなり同棲をオッケーしてくれたことには驚きと共に感謝している。むしろ一人暮らしをさせるより、叶と同居してもらった方が安心だとも言って笑っていた。つき合うことに関しての可否はなにも言わないけれども、少しずつ認められているんじゃないかと勝手に思っている。
「なに考えてるの? 晴季」
黙って思いにふけっていた俺に叶が尋ねかけてきた。
「ちょっと……、ここに来るまでのことをさ」
ああ、と同意するように頷かれる。
「偶然だな。僕も少し思い出してた」
「大変だったような、そうでもなかったような……」
「余裕だね、晴季。軽々合格したんだ」
からかい口調の叶を睨みつつ、俺は真面目に反論した。
「そういう意味じゃないよ。わかってるだろ?」
「冗談だよ。ようやくここまで来たね」
叶は過去を振り返るように瞑目して、そしてゆっくり天井を見上げた。俺も叶に倣って視線を上げる。
「長かったな…、ここまで。中坊のときから考えると五・六年か……」
「うん。ちょうど僕が窓から落ちてからだから、そのくらいだね」
そこで叶は一瞬口を噤み、どこか言いにくそうに「あのとき……」と続けた。
「うん?」
「……あのときさ、前にも話したかもしれないけど――、やっぱりあのとき僕は窓から落ちてよかったと思えるんだ」
思わぬ台詞に俺ははっとして振り向いた。けれども、気配で俺が叶の顔を見つめているのは分かっているはずなのに、叶は俺の方を見ようとしなかった。
「なにをまた……」
「だってさ、いま考えるとあのとき僕はいろいろなものを手に入れたんだ。晴季と本当の意味で思いが通じて、言い方は悪いけど母さんたちにカミングアウトする手間が省けたしね……。それに母さんにバレたことや窓が使えなくなったこととか、僕らに障害ができたことで晴季との絆を逆に深められた気もするし……。結果的に僕の軽い捻挫だけですべてがいい方向に進んで行ったから……」
「それはあくまで結果論だろ? 俺は……、もうあんな思いはしたくない」
叶が目の前で落下する映像が脳裏に過ぎり、俺は思わず身震いした。死ぬかもしれないという不安と何もできなかった不甲斐なさが恐怖となって身に迫る。
「晴季……。ごめん、わかったよ。もう言わないから、怖がらないで」
「……二度と言ってほしくない」
「うん…、ごめん」
そんな俺の肩に叶が頭を乗せてくる。その温かみにほっとした。同時にあのとき誓った決意を思い出す。
――この温もりを一生手放さない。
そして重い口を開いた。
「あのさ…、あの事故の後だけど……、康代さんに言われたんだ」
「……なんて?」
「俺たちのつき合いには干渉せず黙っているって……、俺たちが成人するまでっていう期限付きでさ」
「母さん、晴季にも話してたんだ」
叶は呆れたような怒ったような、不満げに言った。
「それでも俺はずいぶん融通きいてもらったと思うよ。……まぁ、二年後どうなるか分からないけれど」
「確かにね、いい意味で放任してくれた。でも僕は、ただ母さんたちが寛容だったからじゃなくて、僕たちががんばったからこそ同棲までこぎつけられたんだって思う。それに、二年先のことはいまから徐々に説得していけばいいよ。まだ切羽詰まってるわけじゃないんだから」
叶は心配しなくていいと俺抱きしめてくれた。不安定だった気持ちが叶の優しさが伝わるとともに納まってゆく。
自分の拙さに面映ゆくて、叶を上目づかいに見た。
「……あの、俺さ」
「うん?」
「叶とずっと暮らしていたい」
ぼそぼそ小さな願いを口にすれば、叶はちょっと目を瞠ってフッと微笑んだ。
「それは当たり前」
「うん」
「だったら、今日がめでたくも僕たちの人生における初同棲の初日だね」
「……後ろ向きなこと考えてる場合じゃないか」
「そうそう、お祝いしないと」
「ケーキでも買ってくる?」
落ち込んでいた気持ちが浮上して冗談っぽくそう言うと、なぜか叶の瞳が瞬時に艶やかに光った。
「それもいいけどね……。でも、晴季……、今は………」
叶が省いた無言の提案を、俺は微笑んでのんだ。
再び叶のキスに包まれる。
これまで何度こうして叶とキスを重ねてきたんだろう。これから幾度叶とキスを積んでいくんだろう。ものには必ず限りがあるし、そう思えば余計キスの一つ一つが愛おしくなる。
俺は叶の向こうに見える小さな銀河を眺めながら、星のようにきらきらと輝く未来の俺たちを想像した。


-了-
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