恋と窓シリーズ------恋と窓の位置関係08

恋と窓シリーズ

恋と窓の位置関係08

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俺たちは微動だにせず、じっと見つめ合った。俺の広げた腕は徐々に力を失くして、だらりと下に落ちる。相変わらず、叶は何も言わない。ただ俺を見つめて黙りこくっている。怒っているようではないけれど、明るい気分ではなさそうだとは分かる。
「叶……」
俺はもう一度、叶の名前を口にした。何を言いたいわけでもないけれど、今まで心の中だけで呼んでいた名前を、相手を前に呼べるのはうれしかった。でも、叶はやっぱり何も言わなくて、俺もそれ以上何も言えずに、ただ叶の様子を注意深く観察した。
顔の青白さは抜けてるし、足取りもしっかりしてる……。ずいぶん体調を取り戻しているんじゃないかな。
そう見てとれて、落ち込んだ気持ちが少し浮上した。
「……元気そうで、よかった」
俺は気持ちのままに言った。心の底からそう思っていたら、自然と言葉になっていたというような感じで。そして叶に向かってにっこり微笑んだ。
「…………晴季…」
吐息のような声が聞こえてくる。はっとして叶を見たら、その表情がだんだんと崩れていった。叶の目から水が盛り上がったかと思ったら、一筋二筋と涙の筋が頬を伝う。
「どど、どうしたのっ!?」
叶が泣いてる―――!! 俺は初めて見るその涙にワタワタした。
「あの、叶、ごめん!! まだ体の具合わるかった!? そ、それとも、事故のこと怒ってる!? ご、ごめんなっ、俺が我儘言わなかったらあんなことならなかったよなっ!! そそ、それから、それからっ」
叶の涙を見せられて、今までの気まずさなんかすっ飛んでしまった。大慌てで叶の傍によると、俺はうつむく叶の前であれやこれやとあやまった。
「なぁ叶、泣いてるだけじゃ分かんないよ。俺が悪かったから、ちゃんとあやまるから、遠慮なしに言って?」
うつむいたまま静かに涙を流し続ける叶に、俺はなす術もなく取りすがる。困り果てて、叶にどうすればいい?とその顔をのぞき込めば、びっくりすることに今度は笑っていた。
「…………………叶?」
俺が八の字眉で叶の返事を待っていると、急に叶が俺に抱きついてきた。
「叶っ!?」
叶が俺の背に手をまわして、ぎゅうと強く抱きしめてくる。
「晴季……、晴季はなんにも悪くないよ。―――でも、会いに来てくれなかったのは、ちょっと、きつかったな……」
「……ごめん」
「いいよ。晴季だって学校とか部活とか忙しいんだろうし、それに会いに来づらかったんでしょ? 窓を行き来してたのバレちゃったしね」
「…………うん…」
叶は俺から離れて、俺の頭をやさしく自分の肩に抱き直した。
「晴季が僕を助けてくれたって聞いたよ。ありがとう、晴季」
「……ううん、俺はなにもしてないよ」
「でも、ずっと俺の名前呼んでくれてたって……」
「でもっ、でも…それしかできなかった。実際、助けてくれたのは叶の両親だよ」
うつむいてボソボソ言った俺は、叶にうながされてベッドの端に並んで座る。
「ねぇ、晴季――。晴季はちゃんと僕を助けてくれたよ? あの日、雨が降ってたでしょ? 僕が落ちた時はそうでもなかったけれど、母さんが言ってた、雨どいに水が流れる音が大きくって、もし晴季が大声出してくれてなかったら、きっと気づかなかっただろうって」
「それでも、俺がもっと気持ちをしっかりもって、叶を助け出せればよかった」
「なかなか、そうはいかないよ……。もし僕が晴季の立場だったとしても、きっと同じだと思う。だって、晴季のことが大切だから、冷静ではいられない」
叶が言いながら、俺の瞳をじっとのぞき込んでくる。さっきのような何も感情のないものじゃなくて、熱がにじみ出て伝染するような感じで。俺はその熱さにぎゅっと瞳を閉じた。そしたら、額に温かいものが乗って、久しぶりの叶の唇はいつもより少し熱かった。
さっきは泣いていてビックリしたけれど、あまりにいつも通りの叶に、今度は俺が泣きたくなった。
「叶、ごめんな……」
次の言葉をうながすように、叶はそっと唇を外した。
「だって、もしかしたら、叶じゃなくて俺が落ちていたかもしれない。俺が叶に部屋に来てくれってばかり言ってたから、こうなったんだよな……。だから、叶に嫌われたんじゃないかって、そればかり気になって……、叶のお見舞いに行くことができなかったんだ」
「なんで、そう思ったの……。会いたかったのは晴季だけじゃないよ」
「……うん。それに、怪我している叶に会うのも怖かった。この怪我は俺が負わせたものだって思っちゃうだろうなって」
「そんなの……」
「でも、ちゃんと叶に会いに行けばよかったな。自分でうじうじ考えずに、ちゃんと叶に怒ってない?って聞きに行けばよかった」
「うん、そうしてほしかった…。そりゃまだ、怪我は残ってるけれど、かすり傷程度のものだし、あとは腕を少し捻ったくらいかな。だから、もうピンピンしてるよ」
叶は自分の体を見まわしながら、くるくる手首をひねったり、足を動かしたりした。
「本当だ。大丈夫そうでよかった……。たぶんね、叶の怪我が軽かったから、こうして笑えてるんだと思うんだ。もし酷かったら……叶、俺のこと恨んでたかもしれないよ」
「それは絶対にないっ!!」
穏やかだった空気が急にとんがったものに変わった。叶は俺をきつく睨みつけて、肩を怒らせる。普段は怒ることのない叶のその姿は怖くって、俺はびくりと身を強張らせた。
「晴季がそんなこと言うなんて――!! 怪我の大小なんて関係ないよ! 今回だって晴季じゃなくてよかったと思ったくらいなのにっ。じゃあ、晴季は僕が落ちてよかったとでも思ってるわけ!?」
「そ、そんなことないよっ」
「だったら、そんな悲しくなるようなこと言うなよ!!」
俺が落ちればよかった――!!
言おうとして俺は咄嗟に口をつぐんだ。
言えば叶の気持ちを台無しにしてしまう。もっと悲しませる。
そう考えて、はたと気がついた。
なんだ……、俺たちいっしょのこと考えてたんだなって。自分が落ちた方が良かったと思って、そして相手の無事を喜んでる。俺が叶のことを大切に思っているように、叶も俺のことを大事にしてくれる。
叶を見れば、やっぱり厳しい眼差しで俺をじっと睨んでいる。剣呑なオーラを身にまとって――。
そんな叶を見て俺は首をかしげた。お互い同じようなことを考えていたのに、なんですれ違ったんだろう。
変なの……。
そう思うとなんだかおかしくなって、俺は怒り憤まんな叶を前にして笑い出してしまった。
「晴季、僕は怒ってるんだけど」
叶が俺のことをいぶかしそうに見てくる。でも、俺は笑うことをやめられなかった。
「ごめん、叶」
呆れ顔の叶にかまわずひとしきり笑って、俺はやっと笑いを引っ込めると、叶を引き寄せてその体を抱きしめる。改めて抱きしめた体は前よりすこし痩せていた。元々細身なだけにちょっと心配になる。
「叶、ご飯はしっかり食べてる?」
「…………食べてるけど」
叶が戸惑ったように、それでもちゃんと答えてくれる。
「少しやせたよな。もっといっぱいご飯食べて?」
抱きしめられるまま木偶の坊だった叶は、苦笑しながらも俺と同じように抱き返してくる。
「どうしたの……。ご飯なら食べてるよ」
「うん。でもちょっと心配になったから」
「晴季が心配だっていうなら……、もっと食べるようにするよ」
「うん。……ありがとう」
「本当にどうしたの」
叶は怒っていたのを引っ込めて、俺の瞳をぐっと見てくる。
「ごめんな、叶……。さっきのは俺が悪かった。怒って当たり前だよな。だって叶の気持ちを踏みにじったようなもんだから。でも、叶が怒ってくれてよかった。安心した」
「……さっきから何を言ってるのか、ちょっと分からないんだけど……」
叶は不思議そうな顔をして、『でも分かってくれたのなら、まぁいいか』と言ってくれた。
「それと、笑ってごめん。俺たちお互いのことを心配し合ってるのに、それが通じてないことが変だなって思ったら、おかしくなっちゃって……」
そう言われるとそうだね……。叶はなにかを探るように猫目をくるりと巡らせた。
「前にもこんなことがあったなぁ。僕が三階に引っ越したとき、お互い会うのを我慢してすれ違って……。僕たちはちゃんと話し合ってるようで、本当は言葉が足りないのかな」
「好きだから嫌われたくなくて、それで言いたいことを我慢しちゃうとか」
「それは、あるかもしれない」
「じゃあ、俺、もっと我儘言うようにするよ」
叶はそこでちょっとニヤリという風に笑った。…………なんだろう、嫌ぁな予感が、
「そうそう。ベッドの上では大歓迎だよ」
的中……。
「かかかかか、叶っ!!」
「だって晴季ってば、イヤとかヤメテばかりだから、もっとシテなんて言われたらうれしいなって」
叶は顎に手をやってくすくす笑った。
「もうっ、そんなの我儘って言わないだろっ」
俺は両手を握って、ブンと振りながら叶に勢いこんで言ったけれど、叶には全然効かなくて、むしろさらに笑われた感じだ。
うぅー…、俺は真面目に言ってるのにぃ。
でも、基本的に叶にかなわない俺は、その笑顔にうれしくなって、結局いっしょになって笑い合ってしまった。
笑ったり泣いたり、今日はとても忙しいなぁ。
俺がフフと笑うと、叶が何だと見てくる。
「なぁ、叶。さっきはなんで泣いてたの」
「あぁ…、僕も晴季のことは言えないかな……」
「どういうこと?」
「ひとつ間違ったら、あの事故は僕じゃなくて晴季が遭ってたかもしれないでしょ? だから、そのことで晴季が怒ってるんじゃないかと思って―――」
「そ、そんなわけないだろっ?」
「うん、そうだよね。そんなこと晴季が考えるわけないって今なら言える。でも……、ついさっきまでは自信がなかった」
叶は目を伏せて、視線を横に逸らした。
「実際、晴季は今日まで会いに来てくれなかったから……」
「……あ」
俺が咄嗟にあやまろうとしたら、叶に制止されて押しとどまる。
「別に責めてないよ。僕だって、会いに来てほしければ、電話なり何なりすればよかったんだから。けれども、自信がなくて、なかなか行動に出れなくて、でも心がつらくて耐え切れなくて、とうとう会いに来ちゃったけれど」
来てよかった―――。叶はそう言って、とても綺麗な顔で笑った。
「ありがとう、晴季……。僕は今日ここに来て自信が持てたよ」
「自信?」
叶が力強くうなずく。
「そう、自信。だから……、僕はもうこの部屋には来ない」
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