恋と窓シリーズ------恋と窓の位置関係04
恋と窓シリーズ
恋と窓の位置関係04
あれから急いで叶の部屋からハシゴを伝い下りて自分の部屋に戻った俺は、きのう入れなかったお風呂で簡単にシャワーだけ浴びて、朝ごはんもそこそこに家を出た。乾かしきれなかった髪の水気を秋風に散らしながら、通学路を自転車で走ってゆく。校門が閉まるまでまだ時間はあるけど、ゆっくりいくには余裕がない。
「はぁ、はぁ…」
朝露を含んだ空気に弾む息が白く舞う。
きょうこそ一千メートル走らなきゃならないから、本当はこんなところで体力使いたくないんだけど、仕方ないなぁ。あんまり遅刻するとセンセーが家に連絡入れちゃうし……。
とっさに母さんの鬼面を思い出して、俺は思わず身震いした。
……うぅー、ものすっごく歩きたいけど、間に合わせなくちゃ。
あの角を曲がれば学校が見えてくる。あと、もうちょっと。
俺はペダルをこぐ足に力を入れた。
そのうち校舎のてっぺんにある時計が見えて、そろそろ予鈴が鳴る時間を指そうとしている。学校に近づくにつれて増えてゆく生徒たちもちらほら走っていた。
心と体をふるい立たせながらひたすら走ると、正門前で番人のように立つ男の先生の大きな声が聞こえくる。
「おーい、走れー。遅刻するぞー」
俺はふぅと息をついた。ここまで来れば遅刻の心配はまずない。それにあの先生って、たしか少しくらいの遅れになら目をつむってくれたはずだし。
よかったぁ…。ちょっと不安だったけど間に合った。
俺は先生に軽く頭を下げて、正門をすべり抜けた。自転車を駐輪所に置いて、時間を気にしながらまた走る。そのままピロティを通って下駄箱に到着。酸素不足でぼうとする頭を抱えながら上履きに履き替えて、ふらふら教室へと階段を上った。
「おう、もう予鈴なってんぞ、晴季。今日は遅いな」
ぜいぜい荒く息をつきながら、教室のなかに倒れるように入った俺を、目ざとく見つけた陣野が笑って手を挙げた。
「おはよ…」
「おいおい、大丈夫かよ。顔色わるいな」
「……ダメかも」
陣野の軽口にいつもの調子で言い返すことができなくて、かろうじてヘラリと口をゆるめて(笑ったつもり…)俺は自分の席にへたり込んだ。全速力で走ったわけじゃないけど、朝あんまり食べれなかったし、きのうの疲れがまだ残ってたみたいで、びみょうに体がだるい。
「今日も体育休めば?」
俺の弱音に心配になったのか、陣野の声が言い方はぶっきら棒でも途端に気づかわしいものに変わる。
きのうに引き続きまた心配かけてるよ、俺……。
「授業、三時限目だし、それまでにはなんとかなると思う」
「とは言っても昨日みたいにまたブッ倒れるのはごめんだぜ? 無理すんなよ」
「……うん。わかってる」
ちょっと陣野らしくない、でもどこか陣野らしい優しい心づかいに、強気になんとかなるなんて言ったけど、申し訳なくなって渋々うなずいた。それを受けて陣野が満足げに笑顔を向けてくる。
「先公に言いにくかったら、昨日みたいに俺が代わりに身ぶり手ぶり休む口実つくってやるし、お前は黙って隣でしんどそうにしてりゃいいよ」
「……ありがと」
陣野ってば過保護すぎる……。俺はうんざりと陣野を見上げた。
でも今は本当にしんどいし陣野がついていてくれるととっても助かる。だから素直にありがとって言えた。
「まかせとけ」
陣野はそう言ってニヤッと口の端をあげると、俺の頭を手でぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「ちょっと! やめろよなっ」
ただでさえ時間がなくてほとんど手櫛でセットしただけなのに、よけい乱れるじゃん!
俺が手を払ってギロリと睨みつけたら、陣野はおかしそうに腹を抱えて笑った。
「お前ほんとにしんどいのか? いつも通りに戻ってるしっ」
「陣野が嫌なことするからだろ!?」
せっかくイイ奴だなって思ってやったのにぃ―――!! 俺はもう一度陣野を睨むとフンとそっぽを向いて、怒りを当たり散らすように大きな音を立てて、かばんの中から教科書を机の上にバンバン並べていった。
陣野にからかわれて嫌な気分になったけど、かえってそれが疲れを紛らわせてくれて、二限目が終わるころには本当にほとんど体力を回復していた。
これって陣野のおかげになるのかなー。あんまり認めなくないかも…。
なんだか納得いかないなと思いながら、それとなく張本人の方を見たら、陣野とちょうど視線が合わさった。陣野が口パクで話しかけてくる。
『カ・ラ・ダ・ダ・イ・ジョ・ウ・ブ・カ』
えぇっと、『体大丈夫か』だよな。俺はこくりとうなずき返した。陣野はやっぱり口パクで『よかったな』と言ってVサイン送ってくる。
いくらからかわれても、こういうところがあるから陣野って憎めないんだよな。
ちょっとだけふてくされてた気持ちを直して『うん』と俺もチョキを出した。
「そこの二人」
――――ゲッ。
ほのぼのしてたところに、間近で先生の厳しい声が聞こえて、陣野とふたりしてギクリと固まった。恐る恐る見上げると、先生が俺たちの机の近くまで来て、ミッキーみたいな手のついた指し棒を振り上げた。
「これは体罰ではなく、修行だ」
そう言って、俺と陣野の肩をパコ、パコ、と叩いた。
「仲がいいのは素晴らしいことだが、親睦を深めるのはあとにしろ」
冷たい言い方だったけど、先生の瞳は逆に悪戯っぽく笑っていた。本気で怒ってるわけじゃないみたいだ。自然と肩に入っていた力がほっと抜けた。
この程度で済んでよかったぁ。ぜんぜん痛くなかったし。
陣野に見つかっちゃったなと目配せを送ったら、ヘヘッと苦笑いされた。
そこでタイミングよく(?)二限目終了のチャイムが鳴って、先生の『続きは次の授業で』という合図と共に号令して授業が終わった。
次はいよいよ体育の時間だ。俺はさっとロッカーに着替えを取りに行ってジャージを椅子に掛けた。一千メートルかぁ…、早めに外に出て体を慣らさなきゃ。俺はネクタイの結び目に指を入れた。でも……。
……そう、またもや重要なことを忘れていた俺。さぁ、着替えるぞ。という段になってはたと気づく。
ああああああっ。そういえばキスマークがきのうよりも増えてるんだった!!
静かぁに陣野の方をちらっと見れば、陣野はちょうど後ろの席の奴と話している最中だった。とりあえず、セーフ…。でも、いつどこでだれに見られているかわからないから、キョロキョロ周りを見回してだれも見てないのを確認、そして勢いよくしゃがみ込むと、バッとシャツを脱いで、バッとジャージを着こんだ。
………これじゃ、まるで恥ずかしがり屋な女子の着替え方だよ……。
がっくり―――。しゃがみこんだまま思わずうなだれてしまった。
「おーい、晴季ぃ。こそこそナニやってんだぁ?」
うっ…。恐る恐る声の方を見上げてみると、陣野がやらしい笑みを浮かべて、すぐそばに立っていた。
あぅー、バレたよ…。せっかく隠れてたのに、俺ってば……。
「べ、別にナニもないよっ」
「へぇええええ、もしかして昨日より数が増えてるなんてことないよなぁ? アレ。俺があれだけ心配してやったというのに、まさか、なぁ?」
「まままま、まさか! そんなことないって!!」
陣野…、お願いだから口元をヒクヒクさせながら笑うのやめて……。怖いってば。
俺は背中に変な汗をかきながら、それでも無理やり陣野に笑い返した。だって、今この状況で笑ってごまかす以外、やりようないじゃん……。たぶん俺も陣野と同じような顔してるんじゃないかな。顔の筋肉がつりそうだもん。
なんとか見逃してくれないかなぁ。ふたり向き合ってヘラヘラ険悪な空気をまき散らしながら笑ってるなんて、きっと周りの奴らから見たら不気味な光景だよね。
でも……、これって俺が悪いの? そもそも陣野が勘違いしてるんだよ。キスマーク=えっち済みって思いこんでるんだから! そう言いたいけど、陣野のことだからぜったい信じてもらえないよね。きのうのきょう、だもんなぁ。
俺のせいじゃないのにぃ……。このままだとまちがいなく陣野に絞められちゃうよ。
微妙な雰囲気のなか、俺は陣野に面と向かって言えないぶん、心のなかで思いっきり叫んだ。
叶の、バカァアアアアアア!!!
そんなこんなで、あっという間に三限目のチャイムが鳴ってしまって、はっと気づけば教室にみんなの姿はなかった。見事にもぬけの殻。
「やばい!!」
俺の悲鳴に陣野が慌てて教室を飛び出した。
「じ、陣野!! 待てよっ」
俺も慌てて運動靴を引っつかむと陣野の後ろを追って走った。
あぁもう、また遅刻しそうだよ。陣野が悪いんだ。俺をからかってばっかりいるから! きのうもそうだよ。キスマークくらい放っておいてくれればいいのにぃ。
下駄箱に上履きを突っ込んで、運動靴の紐を結ぶのもそこそこに、スリッパみたいに靴のかかとを踏んづけたまま、運動場へ出る廊下を陣野と競うように走る。足が空回りしてつんのめりそうになりながら外に出たら、そこにはもう先生の姿があった。
「遅い!! 二人とも!」
「「すいません!」」
のんびり屋の先生がたまに怒ると怖くって、思わず陣野とハモってしまった。
「トラック五周!!」
うわぁっ、ただでさえ一千メートルなのに……!! 俺はその場にへたり込みそうになった。けれども不意に俺のがっくり落とした肩に陣野の手が乗っかる。陣野は俺をちらりと見ると、腕を組んで渋い顔をしている先生に声を張り上げた。
「先生! こいつ今日一千メートル走だから、五周は次の授業にしてやって。俺はちゃんと走るからさ」
「そう言えば新井(晴季)だけだったな、タイム計ってないのは……。体調は大丈夫なの?」
先生は俺の状態を確かめるように視線を下から上へと滑らせた。本当は一千メートルも五周も走りたくないけれど、ここで変にキョヒってお仕置きが増えたらつらすぎる。俺はこくんと強くうなずいた。
「きょう一千メートルプラス五周はきついけど、次の授業ならいけます」
少しの間じっと俺の瞳を見ていたけれど、先生はふと息をついて陣野に顔を逸らした。
「次に授業があるのは確か四限目だったね?」
「はい」
「じゃあ、次の授業後、昼休みに五周走ること。陣野も一緒に」
陣野はほっとしたように顔を緩めて首を縦に下した。
「今後気をつけるように。級長!!」
先生は号令をするようにと学級長をうながして授業が始まった。
はぁ、最悪の事態はまぬがれたよ。
これでこのことに関しては終わりと踵を返した先生を見送り、俺は陣野を振り返った。
「ありがとな」
「……いや、別に大したことじゃない。それに、けっきょく走らなきゃなんねぇし、な」
陣野は顔を背けてしまってその表情はわからなかったけど、きっと照れてるんだと思う。短い髪から隠しきれなかった耳がほんのり赤く染まっていたから。
「ううん、ほんと助かった。五周がんばろうな」
「……お前も一千メートル、自己新(記録)出せよ?」
そう茶化して俺を見下ろした顔は普段のものに戻っていたけど、でもやっぱり耳だけはちょっと赤かった。そのことをからかっていつもの仕返しをしてもよかったけれど、俺は黙って笑い返した。そんなことどうでもよくなるくらい陣野の優しさがうれしかったから。
「行くぞ、晴季」
陣野もにっかり笑って、そして体育倉庫へ走り出す。俺も陣野に負けないように、後ろを追いかけた。そのうしろ姿に届かないくらいの小さな声で感謝する。たぶんこれ以上言ったら、陣野のことだから照れまくって、しまいにはきっと怒り出すんだ。
――マジでありがとな、陣野。
***
「それから、みんながサッカーやってる間、俺ひとり一千メートル走ったんだけど、陣野ってばだいじょうぶだって言ってるのに、俺が走り終わるまで見守っていてくれたんだ」
意地悪だったり優しかったり、ギャップはげしすぎ。
学校から帰って部屋に戻った俺は、きょうのことを思い出して笑いながら、ベッドに並んで俺と座ってる叶に報告した。もちろん、叶のつけたキスマークでたいへんな目に合ったことも。
でも、叶はごめんごめんと謝ってはくれたけど、してやったり顔で笑っていた。
……………なんで? あんまり反省してないようだしぃ。
俺は首をひねったけど、叶はにこにこ笑うばかり。ワケわかんない。それに、きのうは陣野のことで機嫌わるくしちゃってたのに、きょうは平気みたいだ。……うーん、叶の気持ちのバロメータってどうなってんのかなぁ。
俺がうんうん考えていたところに、急に目の前が影になったと思ったら、叶が覆いかぶさっていた。
「ねぇ、晴季。キスしていい?」
「へ?」
俺は一瞬、叶がなにを言ってるのかわからなくて、きょとんとしてしまった。……っていうか、俺の話、聞いてた?
「キスしたい」
言いながら叶は俺の肩を押した。そのまま俺の体がベッドにころんと転がる。だんだん叶の顔が近づいてきて、俺はやさしく微笑む叶にうっかり見とれてしまった。
そのままキスされ、る………わわっ、こんなことしてたら流されちゃう。
「だだ、だめだよっ。叶!」
すんでのところで叶の胸を押して、なんとかキスから逃げた。でも叶は俺の抵抗もどこ吹く風。さらにニコーッと笑って俺の頬を手のひらで包みこむ。
「心配しなくても、要はキスマークをつけなければいいんでしょ? だったら唇にチューならいいよね」
そう言って叶は俺の唇にチューを落とした。
そ、そういう問題なの? なんかちょっとチガウような……。
俺の疑問をよそに、なんどもなんどもチューが降ってくる。なんだかんだ言っても叶の唇は気持ちいい。しょうがないなぁと思いつつ、俺は叶に身をまかせた。またまた後悔することになるとは思いもよらずに。
そして、翌朝の洗面台の鏡をのぞき込んだ俺はというと―――。
「叶ぇえええっ。口が真っ赤だってばぁああああ!!」
き、気持ちわるいぃ。いまどきこんな真っ赤な口紅つけてる女のひと見ないよ、ってくらい唇がはれていた。バッドマンのジョーカーみたい。それに―――。
俺はぼっと顔を赤らめて、指先で唇をなぞった。
―――これじゃ、いっぱいチューしたのバレバレだよ……。
陣野の不機嫌な顔が思い浮んで、ぞっとしてそれを追い払うように頭をふるふる振った。
……また陣野に怒られるぅ。
肩をげんなり落としつつ蛇口をキュッとひねって、洗面台のシンクに勢いよく水を貯めてゆく。
ちょっとでも冷やさないと……。
俺は水を張ったシンクにじゃぽんと顔を突っ込んだ。
これで赤いの引くかなぁ――? 気休めにしかならないような……。
あーあぁ…。風邪でもないのにマスクなんていやだよ。
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