HAPPY SWEET ROOMT------15 紫の毛糸玉
HAPPY SWEET ROOMT
15 紫の毛糸玉
その後ベッドに移り、夢うつつの状態で何度もイかされた俺は、例のごとくと言えば例のごとく、最後はすっかり意識を失ってしまった。そのまま疲れ切ったカラダを回復させるために惰眠を貪る。というか、起き上がるだけの体力が残っていないと言うのが本音だけれども……。でも、そうやって寝こけるうち、体力はちゃんと回復していった。
――雨、降ってる……?
疲れでぼんやりする頭でも耳はちゃんと働いていて、西日が差し込むなか雨音が聞こえることを不思議に思う。だんだんと意識が浮上して、やがてその音は外からではなく、室内から聞こえているらしいと気づいた。きっと、ロッセがシャワーでも浴びているんだろう。
――それにしては長いな……。
俺は気だるく頭だけ起こした。さっきちょっとだけ覚醒した時もたしかその雨音もどきが聞こえていたはず。でも、あの節約家が蛇口を閉め忘れるはずもないし――?
気になったからには一度風呂場に行って確かめようと、俺は重いカラダを起こし側にあったシャツをひっかけた。手当たりしだいに取ったそれはロッセのシャツで、長めの裾から覗く太股の卑猥さに思わず口がとんがる。
――斑点だらけじゃん……、遠慮しろよー。
でも、隠すにもパンツをはく気力まではなく、そのままで風呂場に向かった。
「なにコレ……」
風呂場の前には段ボールがところ狭しと山積みになっていた。
「さっき買ってきた野菜――?」
体重をかけてなんとか段ボールを押し退けて進むと、風呂場でロッセが屈んでなにやら洗っているようだ。
「……なにしてんの?」
ロッセはシャワーを止めると頭を振り仰いだ。
「ああ、起きたのか。体調はどうだ」
「サイアク……なのは脱出した」
「そうか」
笑みを浮かべて立ち上がり、俺を抱き寄せる。
「暑苦しー」
「元気になったようだな」
軽口を言うロッセを少し睨んで、俺はさっきの疑問をくり返した。
「なにしてたの?」
「野菜を洗っていたのさ」
「あー、贈り物だから?」
「いや、それもあるにはあるが、清潔にしなければ向こうに届きにくいんだ」
「……どういうこと?」
ロッセは少し考え「説明はまずこれを洗ってしまってからにしていいか」と俺に同意を求めて、再びたわしでシャコシャコと野菜を洗い出した。
「急ぐの」
「一応、送る時間が決まっているのでね」
「手伝う?」
「身体は大丈夫なのか」
「今夜ロッセがおとなしく寝てくれるなら」
俺が冗談めかして言うと、ロッセは愉快そうに笑って「では、洗った野菜を拭いていってくれ」と、俺に向かって野菜を放り投げた。
「了〜解っ」
風呂場の隅で簡単にシャワーを浴びてから、その後黙々と二人で作業をした。買ってきた野菜を洗っては拭いて、次々新品の段ボールに詰めてゆく。
「大量だなー。なかなか終わりが見えない……」
俺は脱衣所にべったり腰をおろして、野菜を拭きつつ段ボールの山に目をやる。
「あと何箱?」
「だいぶ進んだぞ。あと……、二つだな」
「それでも二つ……」
うんざりしながらも、でも俺は真面目に野菜拭きに集中した。はっきり言ってカラダが思うように動かない分、傍から見ればダラダラ拭いているように見えると思う。けれど、向こうの子ども達へ早く送ってあげたいという気持ちはロッセと同じつもりだし、普段頼りきりになってしまっている家事へのお礼も込めて丹念に拭いた。
「あー、疲れたー」
それから一時間かけて洗い終えた後、ロッセと協力して段ボールをリビングに運ぶ。そして、全部まとめて大きな白い布に包んだ。
「思ったんだけど、これってどうやって向こうまで運ぶの」
綺麗に梱包された山を見て、やっとできたという達成感と共に、ふと疑問が沸き起こる。段ボール一つ運ぶにもけっこうたいへんだったのに、全部まとめてしまっては、いくら体格のいいロッセと俺ががんばってもきっと数センチ動かすのがやっとだと思う。
「今から運ぶから側で見ていればいい」
汗をかいたからと言ってシャワーを浴びて戻ってきたロッセは、俺と初めて会ったときとはまた別の白い装束を身にまとっていた。
「そんな格好してるってことは、いったん向こうに戻るわけ?」
「いや、今回は戻らない。荷物を送るために術を使うから、一応正装しているだけだ」
「へぇ」
つい忘れがちだけど神官だったよ、この人……。普段はほとんどスーツかエプロンだからねー。あんまりこんな格好しないから実感うすい。
「さて、セイタ。これから、私が良しと言うまで私語は無用だ、いいな?」
「そうなの? うん、わかった」
ロッセは「ありがとう」と最後に一言だけ寄こして、床を蹴りその場に飛び上がった。
「え……」
すぐに着地するのかと思っていたら、ロッセは空に浮いたまま胡坐をかく。
――どうなってんの!!
声が出そうになるのを口に手を当て無理やり防ぐ。どうにも仕組みが気になって、マジックショーのようにフラフープでもロッセに通したくなったが(持ってないけど気持ち的にね)、そこは理性でぐっと抑えた。
やがて、呪文のようなものが聞こえ始めて、それと同時に線状になった紫色の光がロッセの唇から吐き出される。まるでペンライトを振ったときの残光で文字を描いているようだ。光で紡がれる線は絵にも見え、それらが宙を舞って白く梱包された段ボールの山に、古城の蔦みたく絡んでゆく。
――すご……。
俺の手はすでに口から離れていた。もう声を出すどころか呆気にとられてあんぐりするばかりだ。ものすごい光量とありえない光景に圧倒される。
間もなく、紫の光でつくった毛糸玉のようなものができ、いったんロッセは口をつぐむと、合わせていた手のひらをゆっくりと引きはがしていった。今度は手の間から、この部屋にロッセが現れたときに見たのと似たような、やっぱり紫色した円陣(魔法陣?)が出てきた。ロッセが腕いっぱいに手を広げれば、それは一気にぐんと大きさを増す。そして、ロッセがまた何やら唱え始め、急に風が巻き起こると、段ボールの山が宙に浮き上がった。
それからはもうなんとなく想像できてたけど、巨大な毛糸玉がロッセのつくった円陣に吸い込まれてゆく。でも、それで終了かと思ったら、しばらくの間ロッセは段ボールを食った円陣に向かって呪文らしきものを低く唱えていた。
「……よし、届いたようだな」
ロッセがフッと息を吐いて床に降り立つ。ロッセの視線の先にある円陣は少しずつ縮み、幅一メートルほどにまで小さくなった。
俺も、ひと段落ついたらしいとわかって、詰めていた息を吐きやっと声を出した。
「けっこう時間かかるもんなんだね」
ロッセはうなずきながら、帰宅後のサラリーマンのように、衣装の留め具を一つ外した。
「間違いなく向こうに行き着くようにルート誘導しなければならないんだ」
……ルート誘導って? そもそも、この世界とあっちをつなぐ道ってどうなってるんだろう……。どうして行き来できるの……?
考えだしたら止まらない。
でも、聞きたくてもロッセの疲れた様子を見れば、一瞬にしてその気は萎えてしまった。
「……ちょっと理解しにくいけれど、そうなんだ……。あ、でも、だから荷物が消えてもずっとなにか唱えてたんだ」
「ああ。確実に送らなければ意味がないのでね」
「大変だな……。じゃあさ、もうコレ消してもいいんじゃないの?」
荷物がもう届いたなら消していいはず。俺は円陣を指差して言った。すると、ロッセはなぜかニヤリと唇を吊り上げた。
「いや、楽しみが一つ残っている」
「楽しみ?」
「そろそろ来るぞ。耳を塞げ」
ロッセはそう言って両手で自分の耳を覆った。
「へ?」
次の瞬間――、
『ア゙ーン゙ーテ、ロッセェエエエッ!!! 前置きなく急に送るなと何度言えば分かるっ!!!!』
円陣が拡声器のようになり、中からドスの効いた怒鳴り声が轟く。風で表せば爆風、火なら業火。その威圧は半端ではなく、俺は約二メートル後ずさった。
「な、な……っ」
怒鳴り声が無くなっても、もはや茫然。なんで声が聞こえてくるんだとかご近所迷惑だろとか、そんなツッコミを入れる余裕さえ失われる。耳の奥が大音量のせいでグワングワン鳴り、俺はショックで棒立ちになった。
「すまん、ユーイッド。次回は気をつけるさ」
ロッセはさも可笑しそうに含み笑いしながら、円陣に向かって話しかける。そして、言い終えた途端、徐々に小さくなった円陣は、ロッセの開いた手の中に納まり、握ると完全に消失した。
「セイタ?」
俺の様子がおかしいことに気づいたロッセが顔を覗き込む。俺は少し我に返ってロッセの瞳をじっと見つめた。
「……なにさっきの」
「ああ、紫の――」
ロッセが見当外れを言いそうになるのを慌てて阻止する。
「ちっがーう! そうじゃなくって、さっきの大声だよ!!」
「ユーイッドのことか」
「ユーイッド?」
俺が怒鳴り声の主らしい名前をオウム返しすると、ロッセはうなずき返して「神殿の仲間だ」と言った。
「なんか、ものすごーく怒ってたみたいだけど? もっと早めに言ってよね、耳つぶれそうだったじゃん」
「それは悪かった」
と言いながら、ロッセの目尻は弛んでいる。
「そんな顔してたら、ぜんぜん悪そうに見えないんですけど」
「そうかもな」
「やっぱりぜんぜん反省してないし。ユーイッドさんに告げ口しよー」
異世界に居る人に告げ口なんて、できもしないことを冗談交じりに言うと、ロッセはうれしそうな参ったとも言えるような、見るからに微妙な表情になった。
「それは困るな」
「ぜったいユーイッドさん俺の味方になってくれる気がする。なんかロッセって落ち着いていそうで、けっこう台風の種になってる感じあるもん。さっきも、ユーイッドさんに何度も怒らせるな的なこと言われてたし、しかもすんごい怒鳴り声で」
「酷い言われようだな……。だが、ユーイッドに関してはからかい半分だから無罪だ。あいつの怒鳴り声は私の癒しになるからね」
ロッセは口を押さえて、ククッと笑いを漏らした。
「怒鳴られるのが癒しって……」
俺は笑うロッセを奇妙なものでも目にしたように見つめた。ロッセの感情というのははっきり顔に表れにくいけれど、今のロッセと言えば童心に戻ったみたいに無邪気な笑顔を振りまいて、本当に心の底から笑っているのが伝わってくる。でも……、それが必要以上に笑っているようにも見えた。それは俺の心の中にも思い当たる節があって……。
「ねぇ、ロッセ……。本当はさぁ、寂しいんじゃないの?」
ロッセの顔がきょとんとなる。
――あ、めずらし。いやいや……。
俺と出会った直前までは向こうに帰ってたみたいだけど、ロッセが子ども達をとても可愛がっているのをよく知っているから、とんぼ帰りにこっちに戻ってきてせっせと野菜を送っているんじゃないかと、俺にはそう思えた。
「向こうのみんなと離れ離れで寂しいんだろ?」
「……そんなことは」
「あるよ」
ロッセの表情があっという間にゼロになる。
サイボーグ顔、再び。……怖っ。
お、怒っちゃったかな……?
無表情に見下ろされ、俺は視線を逸らしながら恐る恐る早口に言った。
「だ、だってさ、俺だって実家離れて暮らしてるわけだし、なんとなくわかるよ。今はロッセが一緒に住んでくれてるから、あまり気づかないでいるけど、俺だって寂しくなるときあるよ。でも、男だしそんなところ見せたくないから、まだ慣れ切ってないのにちょっと無理してシングルライフ最高なんて意地はっちゃったり、元気でやってるからって実家に連絡しなかったりとかさ。ロッセもそうなんじゃないの? ロッセのことだし、向こうに心配かけたくないから寂しいのを我慢して、用事ないとき以外は連絡取らなかったり、でも、実際は構ってほしいがために相手をからかって試して、俺のこと気にかけてくれてるのか確認してってさ……。あー、だから、つまり……」
言っている内にだんだん俺はなに熱く語ってんだかと照れが入り、しまいに真っ赤になっているのを自覚するくらい頬が熱っていた。その間、ロッセは俺をじっと見つめるばかりで、無言で……。とりあえず視線ビームだけは避けようと、俺はロッセの胸に飛びついた。
「つ、つまりね、たまにはあっちに帰ったら? 寂しいなら帰ればいいじゃん。荷物だけじゃなくてロッセごと帰ればいいんだよ。子ども達もきっと喜んでくれるよ」
ロッセの胸に当てた耳から鼓動が規則正しく聞こえてくる。怒ってるわけじゃなさそうだけど……。ロッセがどういう顔してるのか気になって、俺はそっと胸から顔をあげた。そしたら、ロッセは酷く困ったように微笑んで、そして俺の頭をやさしく撫でた。
「前に見たロッセだ……」
「ん?」
ロッセが不思議そうに見てきたけど、俺はただ首を振った。
「ううん、なんでもない……。ねぇ、帰りなよ、ロッセ。俺は……、俺は家事をしてくれる人がいないと困るけど、少しの間なら大丈夫だしさ」
「困るだけか?」
片眉をあげて、ロッセがどうなんだと尋ねてくる。
「や、あの、そ、そりゃちょっとは寂しいかも……」
からかわれているのはわかっているけれど、俺は素直に照れてしまいなんだかしどろもどろな口調になった。横目に見たロッセの表情がやわらかくて、妙に照れが倍増する。
「私もそうだな。だが……、そうそう頻繁には帰られない」
「……え?」
ロッセは俺の頭から手を離すと、唐突に「腹が減っただろう?」と言った。
「は? ……ま、まぁ」
俺は戸惑ってロッセの顔を正面から見上げる。
「さっき野菜を何故洗うか聞いていたな。……そのこともあるし、食事をしながら話さないか。朝食べてから昼抜きで働いただろう。私も腹が減った」
「でも、俺、バイトが……」
ロッセは俺の返事を待たず、夕食の用意をするから着替えると言って、クローゼットの扉を開いた。
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