HAPPY SWEET ROOMT------04 ひよこと子犬

HAPPY SWEET ROOMT

04 ひよこと子犬

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契約を交わしてから一週間、ロッセとなんだかんだうまく同居している。とはいっても、生活サイクルが逆だから、大学の講義が始まってバイトするようになれば、必然的にロッセと顔を合わす機会も少なくなるし、摩擦は起こらないっていうわけ。
初めのころはロッセと暮らすなんて嫌だなんて言ってたけど、ロッセは基本的な家事は大概こなすし、料理もうまいとは言えなくてもそこそこできるから、一人暮らし初心者の俺は大いに助かっている。
「ロッセ、今日俺バイトだから遅くなる」
俺は鞄を肩にかけながら、ギンガムチェック柄のエプロンを下げているロッセを見上げた。なぜか引っ越しの荷物の中に紛れ込んでいた、俺が中学生の時に家庭科の授業で作ったエプロンを、どこがいいのかロッセは気に入ったようで、家事の際には良く身につけている。今も洗濯物をパンパン叩くその胸には、朝日に輝くシャーベットグリーンの可愛いチェック。ひよこアップリケ付き。ぴよぴよ。
「そうか。私はいつも通り仕事だから夕飯は別々だな。なにかリクエストがあれば用意するが?」
「ううん、いいよ。今日からバーテンの仕事始めるんだけど、簡単なまかないが出るみたいだから大丈夫」
ロッセが胡散臭そうに見下ろしてくる。
「バーテンとはな…。シェイカーは振れるのか」
「ぜーんぜん。バーテンって言っても形ばかりで実質はウェイターだよ」
「なるほど。晩遅くなるんだろう。帰りは気をつけてな」
「気をつけてって、女の子じゃないんだし、ロッセだっていつも遅いじゃないか」
「そんなひ弱な体型で何を言っている。私はこう見えて武術はひと通り心得ているんだぞ」
「へーへー軟弱で済みませんでしたね。いざとなったら股間蹴り上げて逃げるよ」
「ぜひ、そうしてくれ」
俺が冗談で言ったことに対して、ロッセがごく真面目に答えた。そんな顔で言われるほど俺って信用がないというか、弱々しいんだろか……。バイト代入ったらジムでも行くか。
「何を考えている」
「いや、カラダ鍛えよっかなーなんてさ」
「さっきのひ弱発言を気にしているのか」
「そりゃ気になるよ、男だし」
「お前の場合、体型もそうだが、なんというか―――」
ロッセが言いにくそうに言葉を濁した。言うか言うまいかっていう具合に視線が彷徨ってる。
「なに」
「……まちがいなく男だとは判別できるんだが、こう……瞳が子犬っぽいというか―――」
「は」
「餌をちらつかせれば尻尾振ってほいほい誰にでもついて行きそうに見える」
……はぁ!? それこそ俺は犬かっつーの!!
俺がギンと睨みあげれば、ロッセは苦笑を零した。
「だから、そういうところが危ないというんだ」
「なんで!!」
「あっさり無視すればいいところを、そのように威勢よく反応するだろう。からかい甲斐があって困る」
「それはロッセだからだよっ」
「では股間を蹴り上げて逃げればいい」
ムッカーッ!! なんだよそんなに蹴ってほしいんなら今すぐやってやるよ!!
俺は思いっきりよく足を振り上げた。
「無駄だ」
急にカラダが重力に反してふわりと宙に浮いて、視界がグルンと回る。
「え…」
…なんで?と思った時にはもうカラダが床に叩きつけられていた。
「痛ぇえええっ!!!」
一瞬のうちに俺はカラダを大の字に天井を見上げていた。
腰が痛ぇ!! 腰から落ちたぁ!!
「なにすんだよ!!!」
「言ったはずだ。私は武術を習得していると」
俺の腕を抑えたロッセが覆いかぶさり、呆れ顔で俺を見下ろす。
「そんなのズリーだろっ」
「もし、私が赤の他人だったらどうするんだ。まさかズルイの一言で済むと思っているわけではないだろうな」
「っ!! まさか!!」
「ならいいが」
ロッセはあからさまにため息を吐いて、俺の上から退いてフローリングに腰をおろした。
イテテ……。
俺は腰をさすりながらロッセを睨んだ。でも俺の視線になんてビクともしないロッセ。腰に響かないようにゆっくりカラダを起こす俺をロッセはじっと見つめ返した。
「やはり不安だ」
「あんたに不安がられることは何もないって」
「その根拠のない自信はどこから出てくるんだ」
「バーテンに限らず深夜バイトなんて男なら誰だってやってるだろ? バイト仲間もできるんだろうしさ。まったくの一人っていうわけじゃない」
「……方法を誤ったな」
「なにが」
ロッセはぶつぶつと『からかって頑なにさせるのではなかった』みたいなことを言いながら、かなり渋い表情だったけど、なにかあればすぐ連絡しろと俺の深夜バイトを許してくれた。って、あんた保護者かよ……。心配性なんだよなー。それに私が法律みたいなところあるしさ。俺は賃貸主だっての。あぁあ、これでなにかトラブッたらぜったいバーテンやめさせられる。『ほらみろ、私の言う通りになっただろう』なんていうロッセのしたり顔が目に見えるようだ。
ロッセには強気に股間を蹴るなんて言ったけど、なるべく危険なことには首突っ込まないように気をつけよ。
「いってきまーす」
俺はここ最近、習慣になっている出かけ際の挨拶を声にして玄関のドアを閉めた。ドアが閉まり切るすんでのところで聞こえてきた『いってらっしゃい』ににんまり顔がゆるむ。やっぱ、家に誰かいるっていうのは(どんな奴かは別として)いいもんだな。
「あっと、いけね。いま何時だ? ――――やべぇ」
急がなきゃ。俺はダッと駆けだすと、階段を数段ずつ飛び降りながら、駐輪場へと急ぐ。カシャンとストッパーを外して自転車に跨った。
ロッセとゆっくり話し過ぎたなー、いつもの電車に間に合わせないと。
今日の気温は例年より暖かめで、道路端にところどころ植えられた桜の花びらが、俺の脇を風と一緒に横切ってゆく。桜があるというだけで、気持ちがうきうきと上昇する。
全速力で走ってはいくつかの角を横切って駅前に着くと自転車を置き去りにまた走り出した。踏切の向こうに電車が定刻通りに滑り込んでくる。俺は人込みをかき分けて、改札を潜り抜けると電車に駆け込んだ。
「セーフ…」
間に合ったー。あーでも人が多すぎ。有ちゃんどの車両に乗ってんのかな。
俺はキョロキョロ首を動かしたけれども、彼女の姿は見当たらない。
いま会えなくても電車降りればどうせプラットホームではち合わせるか。でもあの子背ひくいし、周りの人間に埋もれてなきゃいいけど。傍にいれば囲ってやれるのに。
俺はため息交じりにぜぇぜぇ荒く呼吸をしながら、つり輪を持って学校前の駅につくのをいまかいまかと待ち構えた。
『○○学園前、○○学園前。お出口は右側です』
アナウンスの後ドアが左右に開いて、俺は混雑に足を取られるのに舌を打ちつつ、なんとかホームに出た。有ちゃんの姿がないかと辺りをぐるり見渡す。
「あ、いた」
人と人の隙間から、よく見知った女の子の姿が見える。ワンピースにジャケットを羽織って、体のサイズに見合わない大きなバッグを抱えるその様子は、思わず荷物持ちを申し出たくなるほどにアンバランスで愛らしい。
今日もやっぱり可愛いなー。
荷物を持ってやろうと動きかけたと同時に、有ちゃんの視線がこっちに向く。
「静太くん」
彼女がにっこり微笑んだ。実際は少し離れていて俺を呼ぶ声は聞こえなかったけど、かたどった口の形ですぐに分かった。俺も口パクで『おはよう』と返す。そして一緒に学校に行こうと、改札を指差して彼女を誘った。彼女がこくんと頷いたのを確認して、俺は人の流れに沿いながら改札を出た。
「おはよう、静太くん」
「おう、おはよ」
券売機の傍で待っていたら、有ちゃんが笑顔で駆け寄ってきた。俺の前で急ブレーキをかけて立ち止まり、大きな瞳で見上げてくる。くるくる巻いた髪がふわり靡いて、シャンプーの香りがぶわっと押し寄せた。
……やられた、くらくらするぅ。
「いつも時間ぴったりね」
「そういう有ちゃんこそ、ぴったりだ」
「うん、この時間だとまだ比較的すいてるし、静太くんにも会えるから」
ほんわかと有ちゃんにそう言われて、思わず自分の胸に手を押し当てた。
………また、やられた。心臓バクバク痛ぇわ…。
うれしい言葉の衝撃にカチンとその場に固まってしまったが、気がつけば有ちゃんは学校に向かって歩き出していて、俺は慌てて小さな後ろ姿を追いかけた。
有ちゃんは玉井有奈と言って、新入生のガイダンスでたまたま隣の席になって、彼女の方から声をかけてきてくれたんだ。とは言ってもナンパな感じじゃなくて、そわそわしていた有ちゃんと俺の視線がふと絡んで、『緊張するねって』苦笑いし合っただけなんだけど。でも、それだけでもなんだか同士がいる安心感に少し緊張が解けて、それから話をするようになった。
吊り橋理論じゃないけれども、ドキドキしていたところに有ちゃんの存在がするりと心のなかに入ってきたもんだから、なんだかね。彼女の存在が気になるっていうか……。
こういうのもひと目惚れっていうのかなぁ。
ごめん、ロッセ…。なんちゃって。
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