アナン・ジェイコフ異聞------貴人04

アナン・ジェイコフ異聞

貴人04

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「はいよっ」
そうして受け取ったプレートには、エンマにしては遠慮気味に、ルーラにとっては丁度良い量の昼食が盛られ、ルーラの顔が安堵で弛んだ。
それをしっかり目に留めたエンマが、如何にもとってつけたような笑顔で窘める。
「あまり食べられないんだったら、最初からちゃんとそう言いな」
ぎくりとルーラの背筋が伸び、エンマは声をあげて笑った。
「すみません……」
「やっぱりそうかい。次からは遠慮せず言うんだよ」
気まずそうに上目で見上げたルーラに対し、エンマは気にするなとやはり笑い、向き直ってイリュールにやや期待を込めた眼差しを送った。
「さて、イリュールさんはどうする」
「私はスープのみで結構」
素気無く言われ、あからさまに肩が落ちた。
「……二人とも少食だねえ。次は腹を減らして来ておくれ」
――腕の揮い甲斐がないじゃないか。
エンマはぶつくさ言いながらもたっぷりのスープを器に盛りイリュールに手渡してやる。
ルーラとイリュールはエンマに礼を言い、向かい合って調理場から離れた席に着いた。
「なかなか迫力ある御婦人ですな」
愛嬌を振りまくエンマに背を向け、イリュールは座って早々に言った。
「ええ……。昨日はこの三倍くらいはある量を盛って頂きまして……。とはいえそれはまた別の方だったのですが、どことなく少なくして欲しいと言い難い雰囲気なものですから、ついお腹が空いてないようなことを言ってしまいました」
「仕方ありますまい、あれでは」
イリュールは同情したように言い、カトラリーでスープを掬う。そのまま口に運び……、僅かに目を見開いた。
「存外いける」
「ええ、そうなんです。美味しいので、残すのが尚更申し訳なくて」
ルーラも鶏のソテーを口にしてにっこり微笑んだ。イリュールも同意と頷き返す。
「これならば連日来ても飽きぬ。……ルーラ殿はいつもこちらで食事を」
「いいえ。昨日初めて利用したばかりです」
「それでは、今までは……」
エンマと仲良さげなルーラを見たせいか、イリュールは少々訝しげに向かいで俯くルーラを見やった。
「……それまでは、調理場の裏口から顔見知りにこっそりと食事を分けてもらって、別の場所にて一人で頂いておりました」
「ほう、御一人で……。それは丁度良い。私も一人で摂る事が多い故、偶にこうして御一緒しても宜しいかな」
実際は朝議の延長で王と食事を摂る機会が多いのだが、イリュールは態とルーラが承諾しやすいように言った。
ルーラはさもびっくりと大きな瞳をイリュールに向け、そして感激に潤ませた。
「もちろんです! あのっ、騎士のアナン様もご一緒するお約束ですので、それでもよろしければぜひ!」
「……アナン様、がね。私としてはルーラ殿と二人の方が好都合だが」
いつになく高揚した面持ちで言ったルーラだったが、即座に却下される。
「それでは……、アナン様がいらっしゃらない時に……」
見るからにしょぼんとした風情になった。
「ええ、そちらの方が。私は人見知りする性質なので」
白々しくも随分と神経の図太い人見知り屋のイリュールに、ルーラは残念そうにしつつも「それでは仕方ないですよね」と笑みを向けた。

「相席はよいか」
しばらくイリュールと歓談していたルーラの横を大きな影が過ぎり、椅子が床を擦る摩擦の音に振り返れば、軍大将殿が了承も取らずどっかりと隣席を陣取っていた。
「ジルク様っ!」
まるで局地的に地震が起きたかのように、ジルクが座った途端ルーラの身体が椅子の上でぴょんと跳ねる。
「おう、ルーラ。今日は宰相殿と一緒か。アナンの代わりに来てやったぞ」
横柄にそう言ってジルクはルーラの器に手を伸ばし、肉を一欠片口に放り込んだ。
「えっ、どこかお悪いのですか」
慌てたルーラを横目に面倒臭げに手を振る。
「違う違う。急に軍の医部で入軍検査を受ける事になってな。あいつは朝から飯抜きだ。何せ尻の穴まで調べるからなあ、あれは」
「し……、お尻の穴ですか……」
「ああ。あれは屈辱的だぞ。台に寝っ転がって尻を抱え軍医に向かって穴を広げるのさ」
にやにや品のない笑みを湛えながら、ジルクは指で作った輪っかの中から青褪めたルーラを覗いた。
もちろんこの検査はジルクも初任当時受けたもので、入軍を希望する者であれば原則的に誰しもに行われる。主に健康状態・身体能力・適性を視るのが表向きの目的で、叙任前に一応の身元調査は行われるものの、古くは敵の密偵が軍内部に入り込むのを妨げる役割を担っていた。だが、規模の大きくなった現在の軍体制では、それらで密偵を防ぎきることは到底敵わず、今では趣旨の曖昧な因習の一つとなっている。
「それはまた、大変ですな」
一方、凡そ食事中に能わない会話内容を耳にしつつも、イリュールの持つスプーンは淡々と口と皿を往復する。因みに、剣の腕には優れるが立場上イリュールは文官扱いとなり、軍人並みの詳しい身体検査は行われていない。
そんなイリュールに、ジルクは呆れた眼差しを差し向けた。
「俺はあいつを養子にするつもりだ。昨夜その旨出願したであろう。それ故、大方何の審査もなしに叙任となる運びが、今朝になって急に軍医から要請があってな。慣例とはいえ不審に思ってはおったのだが……。まあ、お前の顔を見て事のあらましは解ったというものだ」
イリュールがスープから視線を外し、にこやかに笑みをやる。
「人聞きの悪い。それではまるで私が何か手を打ったかのように聞こえますな」
「人聞きも何も、そのものずばりだろう」
何処か好戦的なジルクに立ち向かうように、イリュールは匙を置いた。
「確かに、旧習ではあるものの仕来たりは仕来たり、軍医殿に例外なく検査を行うようにと進言したのは肯定としましょう。ですが、それはあくまで進言。手を打ったという事にはなりませぬ」
「進言しただけならば、俺も何も言うまいよ。ただし、それが日時まで指定してとなれば、手を打ったと言って同等だ」
不意にイリュールが顎に手をやり逡巡するように見せた。
「ああ、そう言えば……。なるべく早ければ早い内が良いとも言ったような気もしますな」
それみたことかとジルクは天を仰ぐ。
「まったく……、何とも都合の良い御進言だ」
恐れ入ったと言わんばかりに肩を竦めた。
一気に疲れた表情を浮かべたジルクに対して、イリュールは艶やかな笑みを湛えたまま口論で止めていた食事を再開する。
「あ、あの……」
イリュールとジルクがやり合う中、口を挟むことなくただただ二人を見比べていたルーラだったが、話が一段落ついたらしいところで恐る恐る声をあげた。
「何か」
「何だ」
二対の視線が瞬時に寄る。国を支える軍将と宰相の威勢というのは、その視線だけでも充分に相手を慄かせるものがある。
ルーラはびくびくしながら続きを口にした。
「それで……、アナン様は大丈夫なのでしょうか」
途端に二人の様子が気のないものになる。イリュールはゆったりと足を組み、ジルクは耳を穿った。
「新人時代にも一度受けられた検査故、心配ありますまい」
「大丈夫も何も、別に尻を掘られるわけではない、気にすることもなかろう。それに、万が一そうなったとしても、相手が地獄を見るだけだ」
イリュールは軽くジルクを睨み、ルーラには微笑みかける。
「大丈夫ですよ。私が保証しましょう」
ルーラはイリュールの目配せの意味が解らず、またジルクの言葉も一部理解出来なかったが、心配ないという言葉には嘘はないだろうと、やっと人心地ついた。
「それより、早く飯を食え」
自分の背に掌を乗せてきたジルクに頷き返し、早速ルーラは食事を片そうとフォークを手に取った。
その時、背に乗ったジルクの手が一瞬、固く強張る。
「ジルク様……」
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