アナン・ジェイコフ異聞------貴人03
アナン・ジェイコフ異聞
貴人03
一方、イリュールから薬を受け取ったルーラは、その後練兵場へと急いだ。西門近くに辿り着けば、中から歓声と共に金属のぶつかり合う甲高い音が聞こえる。嫌な予感を抱えつつ中に入ると、案の定アナンとジルクは二戦目を繰り広げていた。
(やっぱり始まってるっ)
練兵場の中心で絶妙な間合いをとり、剣をぶつけ合う二人の眼差しは真剣そのものだ。兵士等をかき分けなんとか前列に移動したルーラは、彼等の素早い動きを懸命に目で追った。心なしか先程より傷が増えているように見える。否、一戦目より確実に増えた。アナンの頬に入っていた引っ掻き傷風の刀傷が一本から二本になり、ジルクに至っては浅くではあるものの上腕の肉が縦に裂けていた。
「お、お止めしなくては!!」
思わずルーラはそう叫んだが、兵士等が鼓舞する声にかき消される。自分では止めようにもとても敵わないし、誰かに頼もうにも皆が二人の戦いに魅入られていて、頼みを聞いてくれそうにない。ルーラはただ、剣を交える二人を見守るしか術がなかった。
「……もうこんなことはお止めになってください」
決着がついたと言うよりは時間が来たからと、あっさり剣を納めてしまったアナンとジルクを前にして、ルーラは涙を浮かべつつ二人の傷に薬を塗り、そして包帯を巻く。
「そう泣かずとも……。加減はしているし心配には及ばぬ」
「半分は男だろうが。これしきで泣くな」
成人前に加え幼い容貌のルーラを見下ろし、まるで自分達がまだいとけない子を虐めているように思え、それぞれが眉を下げ困ったように小さなルーラのお説教を大人しく聞いている。傍から見れば珍妙な図だが、本人達に至っては至極真面目だ。
「こんなにたくさん傷をおつくりになっては心配にもなります」
ぽろりと涙が零れ落ち、ルーラはきゅっと唇を噛んだ。そして、余った薬や布を一纏めにして抱え込む。
「確かに数は多いが、大した傷ではなかろう」
「アナンの申す通り、傷の内にも入らぬものばかりだ」
寄って集って自分を宥めようとする大人二人を見上げたルーラは、「もう知りません」と精一杯の反抗を口にすると、ぱっと踵を返しその場を走り去って行った。
「ルーラ……」
追い駆けることもなく、残された二人はやや茫然とルーラを見送る。
「あれ程にも純粋に叱られては、流石に胸が痛む」
暫くの間消えゆく後ろ姿を見つめ、そして、区切りをつけるようにアナンが息を吐いた。
「あの様子では、簡単に機嫌は直るまいな。日を改めて謝るとするか」
「おいおい、高が子供相手に機嫌取りか」
からかい含みに言ったジルクをアナンはじろりと見やった。
「お前も共に謝るのだぞ。ジルク」
途端にジルクの口から、はあと気の抜けた声が漏れ出る。
「何故、俺が」
「元凶は言い出したお前であろう」
「受けたお前も同罪だ」
「ほう、己の罪を認めるのだな。では、明日の昼、食堂にて」
ジルクはがっくりと肩を落とした。
「……どう言って謝るつもりだ。まさか、もう剣は持ちません、とでも言うつもりか」
「少なくとも、無闇に剣を交えない、と誓うしかあるまいな」
「それはまた……、最高に面白ぇ冗談だ。俺達は騎士だぞ。笑えるにも程がある」
「何を言う。騎士たる故だ。明日は必ず来るのだぞ」
――何が騎士たる故、だ。騎士だからこそ意地を張るのではないか……。
ぶつぶつ文句を垂れるジルクを置き去りに、アナンは練兵場を後にした。
***
翌日の昼になり、ルーラはとぼとぼと食堂への道程を歩いていた。美しい庭園に目もくれず、頭の中は昨日起こった事で一杯だった。
『明日のお昼もご一緒して下さい!』
そう言った時、アナンは都合が許す限りつき合うと快く承諾してくれた。嬉しくて昨日の昼過ぎまで高揚していた気持ちが、ジルクとの一件以降すっかり萎んでしまった。
「どんな顔をしてお会いすればいいのか……。安易にお許しはできないし……」
(けれど、お約束はお約束だし……)
守るべき約束と自分の中にあるなけなしの意地とがせめぎ合う。うんうん考えながら歩く内、とうとう食堂へと着いてしまった。思うより早く着いたルーラはびくびくと食堂の中を窺った。一通り中の様子を見渡し、そこにアナンの姿がないのを見て取ると、ルーラはほっと安堵の息を吐いた。
「おや。これは奇遇ですな」
声をかけられ後ろを振り返れば、昨日医務室で出会った宰相殿がそこに居た。
「か、閣下っ」
不意にイリュールの眉が寄る。
「閣下とは耳に馴染みませぬな。宰相もしくはイリュールで結構」
「で、ですが……」
「実質私をそう呼ばれる方は少ない故。宜しいですな」
思いがけず呼び名をごり押しされるが、ルーラは戸惑うも素直に頷いた。次いで満足そうに美しい笑みを向けられ、その頬にぽっと火が灯る。
「あの、今日はこちらでお食事を……」
「ええ。偶には場所を変えて、気分転換も良いかと」
「そうでしたか」
良いお天気だし外に出られてのお食事も楽しいですよねと、ルーラはのほほんと笑った。イリュールも瞳を鋭く煌めかせ、同意だと頷く。
「だが、独りでは味気ない。貴方も御一緒に昼餉を如何だろうか」
「そうですか、昼餉を……。えっ、わ、わたしとですか!」
「無論」
ルーラがびっくりとばかりに目を見開いた。国の宰相に誘われるとは、考えるまでもなく光栄な事だ。だが、束の間見せた喜びの表情は、見る見る内に次第に萎れてゆく。
「あの、でも、今日はちょっと……」
「私では不足ですかな」
とんでもないと首と手を目一杯左右に振る。
「お誘いいただいて嬉しいです!! で、ですが、ほ、他にお約束している方が――」
「成程。ではその方が参られるまで私が代わりを務めましょう」
そう言ってイリュールはむんずとルーラの肩を掴み、強引に食堂へと引きずってゆく。ルーラは何が何だか頭の整理がつかぬまま、強制連行されていった。
「昨日の坊やじゃないか! いらっしゃい」
入って早々目聡く調理場の主であるエンマに見つけられ、威勢の良い声が飛んでくる。
「こ、こんにちは」
ルーラはイリュールに横から抱えられ、しかも顔を腰に押しつけられている為に、酷く不器用に挨拶を返した。エンマはえらいえらいと腰に手を当て頷き、イリュールに視線を移す。
「今日はいやに綺麗な人を連れてるねえ」
「それはどうも。こちらは御友人かな」
エンマの賛辞にイリュールはしれっとして顎を引き、ルーラを見下ろした。
「え、えっと、ご友人と言うか、その……」
「なに水臭いこと言ってんだい! あんたとあたしは……て、そういやあんたの名前まだ聞いていなかったね」
急に沸点に達したエンマの怒声にルーラの肩はびくっと揺れたが、不意に我に返ってくれた様子にほっと胸を撫で下ろした。そして、深々と頭を下げ名乗り出る。
「神官見習いのルーラ・ヴィノクと申します」
エンマは名前も可愛いのねえと褒め、覚えるように何度もその名を口の中で復唱する。
「ルーラちゃん、ルーラちゃんと……。で、お隣の綺麗なお姉……、じゃないね、お兄さんは」
「イリュールと申す」
「イリュールさんね。おやまあ、そんな膨れっ面しないの。綺麗なものを綺麗と言って何が悪いのさ」
「……悪いとは言っておらぬが」
ルーラはイリュールを見上げたものの、特にその表情は先刻と変わりなく、寧ろ微笑しているようにさえ見えた。だが、エンマはそこから何か感じとったらしい。
「ならいいんだけどさ。お腹は空いてるのかい」
エンマはそれ以上問い詰めることはせず、ただ肩を竦めルーラに視線を戻した。ルーラは頷こうとして、慌てて首を振る。
「い、いいえっ。あまり空いていません!」
訝しげにしげしげとエンマに見つめられ、ルーラの背を冷たいものが流れた。
「……そうかい」
同じ轍は踏むまいと、必要以上に首を縦に振る。昨日の<大盛り男>は表に出てきてはいなかったが、エンマのふくよかな体型から鑑みるに、あの男同様食事を大量に盛られるのは難なく予想できた。
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