アナン・ジェイコフ異聞------情実04

アナン・ジェイコフ異聞

情実04

BACK | NEXT | INDEX
『久し振りだな』
目の前で何が起こったか分からず、兵士等が皆一様に呆気にとられ、口をぽかんと開けたまま何も発せずにいるなか、ジルクの声だけがやけに辺りに響いた。
「貴殿とお会いするのは、初めてだと思われるが」
ジルクが気安く声をかけたにも拘らず、アナンはこの姿になってから一度も会っていないのを盾に、余所余所しく素っ惚けた。だが、ジルクは自信満々に、人の悪い笑みを浮かべたまま鼻を鳴らす。
「いいや、お前は俺のつれない旧友に違いない」
「旧友とは――。私は先日田舎より登城したばかりの身。申し訳ないが、貴殿には覚えがありませんな」
「ハハッ、そのようにいけ好かない口の聞き方をすれば、益々疑う余地を失くすぞ」
「どうぞ、私には関心のないこと」
素っ気ないアナンだったが、ジルクはにやにや笑いを更に悪化させた。
「では、認めると言うか」
「勝手になさればよろしかろう」
「ならば、この場でお前の輝かしい前歴を高唱するとしよう」
アナンの顔が途端に渋面になる。
「ジルク・マクライン」
「おや、俺の名を知っているとは、初対面じゃあなかったか」
ジルクが両手をわざとらしく挙げ、さも驚いたというような振りをしたのを見やり、これでは悪友どころか友とも言い難いと、アナンは心底不愉快そうに横目に睨んだ。
「何故友だと思ったか、一応、その理由を訊いてやる」
「横柄な奴だ。それに愚問だぞ。理由は簡単だ。この俺と、同等の手練がそうそう在って堪るか」
「弟子や親族では、とは思わんのか」
「まさか。お前とは幾度となく剣を合わせてきているのだぞ。いくら姿形を違えども、間違えるはずがない」
「……単純なのか、穿っているのか。まずは、外見で疑って普通だぞ」
――まったく、昔から変わらん。
アナンは真実この男が現実主義だったことを思い出す。余計なものに惑わされず、その本質を見極められる稀有さを。
「確かに、随分と若返ったな。妙な薬でも飲んだのか」
ジルクの当然な問いを、アナンは肩を竦めることでさらりと受け流す。ジルクに胡乱な視線を投げられても、黙ったまま口を噤んだ。
「俺に謎掛けするばかりで、自分はだんまりか」
「あまり良い思い出ではないのでな」
今この場で、原因となった五年前の全てを、話す気にはまだなれない――。怪訝な表情で見つめるジルクから視線を外し、アナンは手にしていた剣をやっと鞘に納め、右肩を見下ろした。
「しかし、お前に甲冑とはいえ切られるとは、私も腕が落ちたものだ」
そこには、肩に届く擦れ擦れの位置で断ち切られた堅甲の一部が、切り口が判らぬ程の鮮やかさで、頼りなく乗っていた。ジルクも同じくして剣を下げ、別人ごっこはもう終わりかと、つまらなそうにぼやく。だが、大してその事に拘る様子はなく、視線を己の背にやると、やれやれと言って溜息を零した。
「卸したばかりの外套を半分にしおって、言うことか」
呆れた顔のジルクの後ろでは、初めから短く誂えたように、こちらも切り口美しい外套が、ひらひらと軽やかに揺らでいた。
「なかなか可愛らしいではないか」
「阿呆。一軍の将が可愛らしさを求めてどうする。言うなら俺ではなく……、あいつに言え」
言いながらジルクは、兵士等に混じって立つ少年に視線を寄越した。ジルクに釣られ、アナンも彼の方に眼を遣る。ジルクの言う『あいつ』、ルーラと視線が合い、その身が気まずげに小さくなった。
「見ない顔だが、こいつの連れか?」
ぞんざいにジルクが尋ねる。
「はい……、剣のぶつかる音がしたものですから、気になって……」
ジルクからアナンへ視線を移しつつ言い訳する。酷い悪戯をして怒られた子供のような様子でいるルーラに、アナンは気にするなという意味を込め微笑みかけた。
「いや、ちょうど良かった。お前を呼ぼうと思っていたところだ」
そして、ルーラには敢えて事前に言ってはいなかったが、旧友に引見させるという目的の為、ジルクに向き直った。
「こちらは、ルーラ・ヴィノク。私の新しい友人だ。ルーラ、この男はジルク・マクライン。私とは古馴染みでな。先程見ていたかもしれぬが、剣に関しては少々腕が立つ。もし、私に何かあればこれを頼りにしてくれ……、ルーラ? どうした」
アナンは、ルーラが次第にびくびくし出したのに気付き、不審に思ってその視線を頼りに隣を見れば、ジルクが冷めた眼差しで、ルーラを下から上へと観察していた。
「神官……、にしては幼いな」
ジルクに指摘され、居心地悪くルーラは視線を下ろした。
「え、ええ。まだ、見習いです」
「それにしても、歳が足らぬ……。アナン」
ルーラを眺め何やら思い至ったジルクは、呆れたとでも言いたげに、長い溜息をこれ見よがしに吐いた。
「俺は、十年程前にも、似たような経験をした覚えがあるぞ。その時の奴は、こいつと違ってすでに成人してはおったが」
「なんのことだ」
ルーラの前で余計なことを言うなと、アナンは瞳を鋭くする。
「ある神官と対面させただろう」
「……それはそれ、これはこれだ」
「何がそれはそれ、だ、白々しい。こいつを俺の許へ連れてきた時点で、お前の思惑は知れたというものだぞ」
「お前が何を言いたいのか解らぬが、どうとでも思えば良い」
「……その偏屈さ加減は相変わらずだな。健在で嬉しいぞ。懐かしいったらありゃしない」
聞く耳を持とうとしないアナンに、ジルクは顔と掌を上げ、天を仰いだ。そして、徐に数歩前へ進み出ると、ルーラの正面で片膝を着いた。
「ルーラ殿」
急に丁寧な所作で礼儀正しく名を呼ばれ、ルーラの身体が直立して固まる。
「そうお呼びして宜しいかな。この男も申したが、我が名はジルク・マクライン。一つ訂正させて頂ければ、腕には少々どころか、かなり自信がある。アナンの友は、即ち我が友。貴殿の有事には、何を置いても馳せ参じようぞ。まあ、王を差し置く訳にはいかぬがな」
そう声高に言ったジルクは快活に笑うと、ルーラの目の前に手を差し出し、握手を求めた。そして、困惑して動けないでいるルーラの手を、焦れて掻っ攫うように奪う。そのまま強く引き寄せ、ルーラの肩を抱いた。
「ジルク」
咄嗟にアナンが見動いだのを眼で制すと、更に固まったルーラの肩口でそっと耳打ちした。
「これでも俺は軍大将だ。俺と仲の良いところを周りに見せつけておけば、少なくとも軍内でお前の立場が悪くなることはない。嫌でもせいぜい御愛想することだな」
「そ、それは……」
「何故、アナンが俺達を引き合せたと思う。俺という後ろ盾をお前につける為だろう? 奴の好意を無駄にするな。何も考えず、それに乗っかればよい」
返事を待たず言うだけ言って、ジルクはルーラを突き放すように立ち上がった。そして、ブンブンと音が聞こえそうなくらい過剰に、握手した手を上下に振る。忽ち冷えた雰囲気は霧散し、友好的で明るい軍将に戻っていた。
「然るに、ルーラ殿。その御歳で神官とは将来有望と御見受けする」
「い、いえ、そのようなことは……。こちらこそ、マクライン閣下に、お、お目にかかれて光栄です」
「マクラインとは他人行儀ですぞ。ジルクと御呼び頂きたい」
急激な態度の変化についてゆけず、ルーラはおろおろするばかりだ。だが、すっかりと今は温和な空気を纏うジルクを見上げ、ほんの少し肩の力を弛めた。
「で……、では、ジルク様」
「何ですかな」
「あの、ありがとうございます。わたしなどに、気をかけてくださって……。その、とても……、うれしいです」
「……うれしい?」
思いもよらぬ感想を口にしたルーラを、ジルクは珍獣でも眺めるように見下ろす。礼を言われる謂れも、気にかけた覚えも、さっぱりない。何故か頬を赤らめたルーラの、その真っ直ぐな瞳に、ジルクは柄にもなく面食らった。
「は、はい……。できれば、なにかお礼を――」
そう照れたように言うルーラを見やり、ジルクの顔が更に間の抜けたものになる。だが、自分に向けられる不思議そうな視線に気づき、すぐさま落ち着きを取り戻すと、その瞳をぐっと穏やかに和らげた。
「貴殿が気になさることはない。私は我が旧友の滅多にない願いを聞いたまで。それに、礼ならば、直接本人より貰い受ける」
「ジルク、そのような話、聞いておらぬぞ」
それまで、友人がまた一人新しく出来たと素直に喜んだのだろうルーラと、それを全く理解できていないジルクとの奇妙なやり取りを、喉で笑いを堪えながら聞いていたアナンだったが、ジルクが放った不穏な台詞に、すかさず割って入る。
「おや、ルーラ殿の前で申すか」
ジルクはにやにや笑いを復活させると、悪戯っぽい瞳をアナンに向けた。
「安心しろ。女のように、高価な物は強請らんさ」
アナンの顔が苦虫を噛み潰した様に歪む。
「お前の場合、むしろ物ではないという方が厄介だ」
「お、よく物ではないと判ったな。その話は場所を改めて、ゆっくりさせて頂くとしよう」
そこでジルクは、それまでほぼ完全に無視していた兵士等に向け、大声をあげた。
「今日の演習はここまで。明日より勝ち抜き試合を行う故、各自武具の手入れをし、身体を休めろ。以上だ、解散」
静かに事の成り行きを見守っていた兵士等は、ジルクの号令でやっと反応し、蜘蛛の子のように方々へ散ってゆく。それを見届けた後、ジルクは二人を四阿に誘った。
だだっ広い練兵場の四方には、それぞれ鉾・盾・弓・剣等の武具が置かれた倉庫が配され、裏側の一角に簡素な四阿がある。その中央には、外壁と同色のテーブルが置かれていた。
「先刻の話の続きだが――」
「兵を避けるほどのことなのか」
備え付けられた椅子に腰を下ろして早々切り出したジルクに、アナンが揶揄を込めて言った。
「聞かれて困るのは俺ではなく、お前だぞ」
「私が? ……いったい何だと言うのだ」
見るからに嫌々という態度のアナンを尻目に、ジルクは愉しげに話を進める。
「前置きが欲しいか」
「さっさと言え」
「そう目角を立てるな。なに、簡単なことだ。軍部では近頃、後継者に悩まされておったのだが、それが今日、ほどよく解決して肩の荷が下りたというものだ。お前ほどの適任は他におるまいよ」
「……おい、どういうことだ」
それまで、目尻に皺を寄せていたジルクが、不意に真剣な眼差しになる。
「そのままの意味だ。俺の、延いては、軍を率いる後継者さ」
「まさか、私に軍をなどと」
「真剣に言っている。それに、城に戻ったのは王の招請を受けたからであろう?」
「聞いていたのか」
「単なる推測だ。以前より、王には相談を持ちかけていたからな。お前を呼ぶことで、俺の憂いを解消して下さったわけだ」
「それで、王はいきなり軍の指導者をと……」
アナンは思わず頭を抱えそうになった。後継者ともなれば、双肩にかかる責務はその比ではない。城にある軍部の兵士は凡そ千人程だが、全土よりかき集めれば数万にも及ぶ。彼らの命は直接国民の生活に繋がり、軍を揮う重責が己に圧し掛かってくるのだ。おいそれと引き受けられる話ではない。
「なんだ。それとなく話があったんじゃないか」
あっけらかんと言うジルクに、頭を抱えるまではゆかなくとも顔半分を手で覆ったアナンは、片眼をじろりと向けた。
「回りくどく言われて分かるものか。そうと知れば、のこのこ城になど戻らなかったぞ」
「だが、そうもいかん。優秀な騎士は多くとも、抜きん出てとなれば難しい。どうしても嫌だと駄々をこねるなら、お前が後継ぎを捜せ。どうせ、すぐに諦めることになるとは思うがな」
ジルクは寛いだ様子で、椅子の背に凭れかかり、そこに腕を投げ置いた。ジルクの中で、この話はすでに自分の手から離れたものとなったらしい。他人事のような口調の素気無いジルクを前に、アナンは薄く吐息を漏らした。
「まったく……、老いぼれをこれ以上働かせてどうする」
「五年も休んでおって何を言う。その上、老いぼれとは……。俺に対する嫌味か」
ジルクはアナンを半眼で睨み、「それに」と横に座るルーラを軽く指差しつつ、話を続けた。
「この神官殿の為もあって俺の許へ来たのだろう? 後ろ盾を得る為にな。だが、そんなことをするよりも、お前自身が地位や力を持てば良いことだろう。それには後継者になるのが一番手っ取り早いと、俺は思うがな」
「ルーラのことはもちろんだが、軍の指導者を受ける如何は、まずここに来てからと考えておった。お前のことだ、私の腕が自分に見合わぬとなれば、何が何でも撥ねつけるだろうと思ったのでな」
王に絶対の忠誠を誓うジルクではあるが、諾否に関しては己の判断を優先させる男でもある。
「で、俺が下した合否はどうだと思う」
アナンは深く腰を掛け直し、腕を組んだ。風の向きが変わり、その前髪がさわさわと靡く。
「可、であろうな。否であれば、のんびり向き合ってなどいないさ」
「解っておるではないか。一体どの口で老いぼれなどと言うのだ」
「正しくこの口だ。お前と歳はほぼ変わらぬではないか」
「ああ? それとなく俺を老いぼれの仲間に入れるな。それに、お前はそう言うが、俺達は親子ほど歳が離れて見えるぞ」
「外見ではない。中身の話だ」
そこで不意に、ジルクは今まで以上に感じの悪い笑みを浮かべた。嫌な予感に、ぞぞっとアナンの背筋に悪寒が走る。
「そうだ。どうせ後継者になるならば、俺の養子になれ」
「お前の……、養子……」
とんでもない申し出に、今度は眩暈を起こしそうになる。以前にもそのような話は出たものの、本人から直接聞くのとでは、受ける衝撃の度合いは段違いだ。互いに悪友と認め合うなか、本気で言っているのかと思うと、全くジルクの気が知れない。
「イリュールと同じことを……。そのように軽々しく言うことか」
「奴と気が合うなど、珍しいこともあるものだ」
友の心情を慮ることなく、冗談っぽく混ぜ返したジルクを無視し、アナンはこの上ない重低音で応えた。
「兎に角、養子にはならんぞ」
「一兵卒から始めると言うか。他の兵士等を一気に蹴散らし、自力で伸し上がると? だが、そうは簡単にゆくかな。剣の実力だけでは、一個隊も率いられぬぞ。嫉妬と羨望というのは厄介だからな。そうは思わぬか、神官殿」
「え……、ええ」
急に話を振られ、二人の会話から取り残されていたルーラは、戸惑ったように口籠る。アナンは眼で助けを求めてきたルーラの手を、腕を伸ばしテーブルの下で柔らかく握った。ルーラに軽く微笑み、再び視線を戻せば、ジルクの瞳と真っ向からかち合う。
「俺の養子であれば、幾らか反発があったとしても、所詮は大将の息子だから仕方あるまいと、少しは温く見て貰えるだろうよ。お前にとっちゃあ、不本意ではあろうがな」
軍で同期だった男の籍に入るなどと、騎士として彼と同等の腕を持ち、それなりの栄誉も手にしてきたアナンとしては、やはり易々とは受け入れ難い。アナンは如何にも渋々といった面持ちで先を促した。
「それで、具体的にはどうしろと」
「まずは兵の前で養子だと宣言し、その上で、皆と腕比べをして力量の差を見せつける――。いや、これは逆でも良いか。腕比べの後、種明かしというのも面白そうだ。奴等、吃驚するだろうなぁ……。まあ、それはさて置き、それでも多少は兵士等と軋轢が生じるやもしれぬが、お前の言う一兵卒云々よりはましだと思うぞ」
確かにジルクに対する兵士等の人望は厚く、恐らく彼の言う通り、一兵卒と大将の義子では兵士等の態度は大きく変わってくることだろう。とはいえ、アナンが不快なのには変わりないのだが――。
「まさか、こうなることを端から予想して、勝ち抜き戦を」
「まさか。流石の俺もここまでは予測できまいよ」
「……当てにもなるまい」
「なんにせよ、明日が楽しみだ。なあ、ルーラ殿」
高らかに笑うジルクを前にして、アナンは深々と溜息を吐き、一方ルーラは不安そうにそんな彼を見つめ、未だ握られたままの優しい手に、更にもう片方の手を重ね合わせた。
BACK | NEXT | INDEX
Copyright (c) 2010- Magical S0up All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-