アナン・ジェイコフ異聞------情実03
アナン・ジェイコフ異聞
情実03
『また明日もおいでよ』
エンマにそう言われ、満面の笑みで頷き返したルーラを、アナンは優しく促すと、厨房の者達に軽く会釈をし、食堂を後にする。そして、詰め込み過ぎた腹を宥める為、運動がてら城壁に沿い園内を二人して散策した。
「量はちょっと多くて困りましたけど、でも、とっても美味しかったですね」
頬に紅をさし、ルーラが楽しそうに話すのを、アナンは温かに見下ろす。
(この小さな友人は少々物事を深刻に捉え過ぎる癖があるのかもしれない)
ルーラを見守りながら、アナンは思う。食堂に入るまでかなり物憂げだったが、実際入ってしまえば、ルーラが憂慮していたこと以上の事態(多量の食事)でそれどころではなかったとはいえ、周囲の目を気にすることなく昼食を摂ることができた。それに、ルーラが言うほどアナンには、他人の目が全て冷たいとは感じられなかった。単純にまだ幼いが故、物事を一面的にしか捉えられないのだろう。人の感情の多様性を知るには、主に人との結びつきからしか得ることを望めないが、今のルーラの状況を考えれば、少々難しそうだ。
「ああ、確かに旨かったな。だが、お前はいつも食べているのでは?」
アナンは揶揄混じりに言うと、ルーラは恥ずかしそうに眼を瞬かせた。
「そうですが……。でも、アナン様がいらっしゃったから」
――だから、いつもと違うんです。
ルーラが胸の前で指を絡め、もぞもぞ言う。
「それは、こんな私でも御役に立てて良かった」
「お、お役だなんて――っ。その……、さっきは失礼なことを言ってすみませんでした」
突然、勢いよく頭を下げられ、アナンは眼を瞠り、そして可笑しげに息を噴き出した。
「どうやら、私はやっと友人として合格を貰えたようだな」
「……試験しろと仰ったのはアナン様の方で、決してわたしは」
「だが、お前は私を疑っていた。然らずとも、友を名乗るからには当然のことをしたまでだ」
私は間違っていないだろう――? そんな意味合いを込め、少々おどけて眉を上げれば、ルーラは大きく頷いて笑った。
「本当にありがとうございます。アナン様のおかげでエンマさんや厨房の皆さんともお知り合いになれましたし、明日からは一人ででも食堂へ行けそうです」
嬉しげに言うルーラを見やり、アナンは苦笑を浮かべる。
「……まったく、お前は私を落胆させるのが上手い」
気落ちしたような表情のアナンに、ルーラが慌てる。
「あの、わたしはなにか……」
「せっかくの合格も取り下げか」
「取り下げ、とは――。そのようなつもりは、わたしに」
「一人で食事できるようになれば、私は不要なのかと聞いている」
ルーラの肩がびくりと震えた。
「い、いいえ……」
そして、気まずげにちらちらとアナンの様子を上目に窺うが、アナンは黙して耐える。ここは、ルーラの口から言わせなければ報われない。
「その……」
「『その』、なんだ」
「あ」
「あ?」
「明日もお昼をご一緒して下さい!」
威勢ばかりの色気も素っ気もない誘い文句だったが、アナンは上機嫌に笑い、ルーラの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「明日も、明後日も、明々後日も、都合が許す限りつき合おう」
アナンを見上げる瞳が揺れる。
「明日も、明後日も……、ずっと?」
「ああ、ずっとだ」
「半年後も、一年後も?」
「ああ、お前が私の顔にうんざりするまで、ずっと」
アナンは自分が発する言葉を、何処か他事のような、妙な感覚でもって聞いていた。つい先日まで、深く他人と関わり合うことを二度とすまいと思っていたのにも拘らず、真逆をする自分が可笑しい。
「うんざりすることなんて……、きっと、ずっとありません」
身体に受けた衝撃で、アナンは自我を持ち直す。己の胸にぶつけるようにして、額を押しつけてきたルーラを、そっと抱き寄せた。色事めいた仕種ではなく、親が幼子を守るように。
「お前は面白いな」
ルーラが不思議そうに顔を上げる。だが、アナンは微苦笑と共に、再びルーラを胸に押し込めた。
「まだ、出会って数日だというに……」
だが、自分に与える影響は多大だ。そして今、この先の人生を左右する決断を下そうとしている。
アナンはルーラを胸から引き離し、その瞳を見つめた。
「これからお前につき合って貰いたいところがある」
「……それは」
「練兵場だ。ルーラ、今日のこれからの予定は?」
「今日はこれといって……、慰霊塔の周りを掃除しようかとは思っていましたが」
「私の為に少し時間をとってくれぬか」
ルーラはやはり不思議そうにしながらも、一つ頷いた。
「よし。では、西の門に参るぞ」
「何をなさるのですか?」
「私にはもう一つ、試験があるのだよ」
それも、二人の今後を決める、重要な――。
「試験、ですか」
「ああ。この先ずっとお前と心穏やかに食事をしようと思うならば、それを通過せねば叶わぬ」
わざわざ『食事』という単語を特化して言った自分に苦笑いし、そして、アナンはその瞳を上げ、城壁に繋がる西門を睨むように見つめた。
「ルーラ、私は従軍を決めたよ。我々の為に」
両性であるが故、軽視されがちなルーラと友人関係を続けるには、城に職を求めることに加え、周囲の口を縫い塞ぐだけの力が程々あった方が良いだろう。その為にも練兵場に赴き、まずは旧友に会わなければならない。しかも、機会はたった一度。その一度で、自分の腕を旧友のみならず、兵士等全てに知らしめる。また、それで皆を納得させなければ意味がない。
「参ろう」
アナンはルーラから離れ、先立って歩き始める。その後ろ姿は先刻と打って変わり、誰をも寄せつけぬ峻厳さを帯びていた。
通例、練兵場といえば城内に設置するものだが、この国では外壁に付設されてある。元々城の敷地に置かれていたところを、神殿も宮殿もある城内に『エレガントに欠け野蛮だ』と現王の指示(もしくは我儘)により、外へ移設された。発令当初は、軍内からは不便だという異議が、都内からは景観が悪くなるという不服が、双方続出したが、宰相の巧みな説得(という名の懐柔)から、実際に陳情する者は出なかった。
「私が呼ぶまで、ここで待て」
ルーラを西門近くに待たせ、アナンは場内へ入っていった。西門はそのまま練兵場の入口となっており、特に番兵を配してはおらず、城の者であれば誰でも中へ入ることができた。とはいえ、兵揃いのこの場所に、態々余所者が立ち入ることは無かったが――。そういった理由で難なく先に進めば、兵士等が広場の中心を囲んで歓声を上げる姿がアナンの目に入った。
「おおい、誰か俺を打ち負かせる者はおらぬか! 勝利した者は、俺の右腕として引き立てようぞ」
輪の中で、騎士が一人、兵士等を鼓舞するように吠えていた。
(幾歳を重ねようとも、丸くなるということを知らんな、奴は……)
打ち据えた兵士を足元に、剣を振りかざす軍大将(=ジルク・マクライン)を見つめ、アナンは思わず失笑した。併せて、彼を観察する。遠目に大雑把にしか判らないが、髪に白いものが増えたようだ。己も何事なく歳をとっていれば、彼のように白髪混じりの気難しい爺になっていたかもしれない。そう思えば、自然と噴き出た笑みが引っ込む。髪の毛以外は以前とほぼ変わらぬ風貌に、アナンは緊張を解き、懐かしさに心を寄せた。
だが、そうして昔を懐かしんだのはほんの一時だった。
「……さて、懐古はここまで」
瞬く間にアナンの身から殺気を滾り、柄に手を添え上体を低く構える。そして、アナンは一気に駆け出した。まるで疾風が走ったかのごとく、アナンに遅れて砂埃が一直線に追いかける。兵士等を目前に跳ね上がり、アナンはジルク目掛けて刀身を垂直に下ろした。
――金属の爆ぜる激しい音が響き、アナンはジルクより一間離れ、舞うように着地した。
やはり、錆びた腕では難しかったかと、アナンは自嘲した。いくら一度身に覚えた技術は抜けないとはいえ、鍛えなければ劣化するもの。その上、ジルクとの筋肉量の差は、外目にも歴然だ。
アナンは肩に手を置き、振り返りざま立ち上がった。ジルクと正面から向き合う。
彼は笑っていた。剣を交えた瞬間も、一瞬は驚いたように目を見開いたが、次にはにやりと口を歪めた。人を食ったような、だが、酷く嬉しげな笑み。
「久し振りだな」
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