アナン・ジェイコフ異聞------登城02

アナン・ジェイコフ異聞

登城02

BACK | NEXT | INDEX
互いの近況を話しながら大いに飲み食いした三人だったが、夜が更けて尚話は尽きず、王専用の書斎に移り更に語り合っていた。本来気付けの為に常備してある酒が、三人を前に次々空になってゆく。酒には自信あるアナンでも、目の前の二人と飲めばいつも酔わされそうになる。ぼつぼつ酒も尽きかけ終いにしてもいいところだったが、王が何故自分を城に呼び戻したのか、それのみ聞き出したいが為アナンは機会を見計らいつつちびちびと酒を舐めた。
「陛下、そろそろ休まれては。早朝より評議ですぞ」
話がひと段落ついたところでイリュールはグラスをテーブルに置いた。
「今からではほとんど眠れまい。このまま起きていてもいいくらいだ」
王が物足りなさそうに言う。
「いいえ。居眠りされては困りますからな。この前のように瞼に目を書いて誤魔化すなど、ふざけた真似をされたら足を容赦なく踏みつけましょう」
「皆くそ真面目に雁首揃えて何時間もああだこうだとやりあい、その割まともな結論も出せず終わるような会合など、まともにやっていればそのうち狂うぞ」
「では、すでに狂っておりますな。くだらぬ悪戯をしては、それを自ら可愛いと思い違いしている四十オヤジなど、末期どころか終わっている」
「四十はまだオヤジではないわ。それを言えば師に失礼だろう」
「私が問題にしているのは品位です。師には当てはまりません」
「お前は私が品位に欠けると言いたいのか」
「おや、やっと気づかれたか。それはめでたい。では、引き続き祝杯を」
イリュールはせっせと王とアナンに酒を勧め、自分の杯にもなみなみ注いでは空けてゆく。一応宰相としての立場上、王に苦言らしきものを呈してはいるが、詰まるところイリュールもまだ飲み足りないのである。アナンは苦笑しつつも若き宰相に勧められるがまま杯を重ねた。
「しかし、五年という歳月はやはり長かったですな」
飲むペースが皆落ち着いてきたところで、イリュールはソファにゆったりと腰を据えてアナンを見やった。王も頷いてそれに同意する。
「師を見ていれば一目瞭然。ユリナ・ユリオスが亡くなった時でさえお会いできず、尚更月日を感じる」
「……あの時は失礼した」
「いや、責めるつもりで言ったのでは。ただ、五年前、城よりお見送りした時の師は、ほんの十二・三の少年に戻られておった故」
アナンは目を伏せ自分の胸に手を当てた。
「ああ。この甲冑が身に重くまともに着られなかったのを覚えている」
「師ほどの腕前の騎士を我が手元から放すのはなんとも無念でしたが、甲冑を着られぬ者を軍にあのまま配するわけにもいかず、師には申し訳ないことをした」
「いや、それは当然のこと。どうか気になされぬよう。それに、ユリナのこともある。王には感謝しているくらいだ」
「そう言っていただけると有難いが……」
王は少し言い淀み、イリュールに視線を送る。イリュールは呆れたように片眉をあげ、アナンに微笑みかけた。
「ユリナ殿が亡くなられて三年になりますな。身辺は落ち着かれましたか」
アナンは肘を背凭れに預け、考える風に顎に手をやった。
「落ち着いたとも言えるし、そうとも言えないようでもあるな。思い出せば胸が締めつけられるのには変わりない」
「しかし、こちらに戻られたということは、ある程度踏ん切りがつかれたのでは」
「踏ん切りとは」
イリュールはスッと居住いを正した。
「王は、師に軍へと戻って頂きたいのです。無論、この私も」
「軍へ……」
もしや戦争が始まるのではと危惧していたのに比べれば、いくらか容易い要請だとはいえ、再び人の生死に携わる機関に戻れと言われたことに、アナンは戸惑いを隠せなかった。
「師はユリナ殿が逝去された時でさえ、城に戻られなかった。ユリナ殿の眠るこの地へ。それが、王の招請とはいえ今こうして戻られたのだ」
――気持ちの整理がついたのでは?
暗にそう仄めかすイリュールにアナンは眉を顰めた。イリュールを後押しするように王も口を開く。
「私としてはもっと早くに戻って頂きたかったが、軍の規定により仕方なく今まで待った。本日お会いして己の判断に間違いないと確信している」
「入隊は十七になる年からと決まっていますからね。その御容姿ならば問題ない」
王と宰相、二人に詰め寄られアナンは閉口する。
「戦後五年間、主に復興の為と兵を使って参りました。戦前同様とまではいかぬが街が再建され、政治も安定しつつある。そこで、そろそろ彼らを本務に戻し、武力を高めてゆきたいと考えているのです。万が一に備え、何が起こるか分からぬ世なので」
「……そうか」
「就いては、師に軍兵の指導的立場に当たって頂きたい」
イリュールはアナンの瞳を真正面から見据えた。
「私は言わば使い古しだぞ。この五年、剣を抜いたは磨く為のみ。まともに指導できるとは思えん」
「ご謙遜を。番兵の槍を折った腕前、以前と御変わりなく」
「そのうえ、この容姿では歳を誤魔化してもせいぜい二十が限度だろう。若造の言うことなど聞くものか。それこそ、先刻の番兵のように」
「不満があったとしても、その腕が彼らの口を捻じ伏せましょう。先程、師が御証明されたように」
「相変わらず、ああ言えばこう言う」
「光栄ですな。陰口が煩わしいと仰るならば陛下より爵位を授けましょう。または、ジルク・マクライン殿の養子にでも入られますかな。陛下の隠し子にするというのもなかなか面白い」
「……どれも面倒なことこの上ない」
アナンはあからさまに溜息を吐いた。前の戦で功を立てたとはいえ、五年も田舎に引っ込んでいた老兵に爵位を与えるなど、元老院が黙っているとは思えない。また、自分の同期であったジルク(現大将)の養子になるなど身の毛がよだつ。それに加え、王の隠し子とは……、ますます格好の餌食になるではないか。アナンは少し逡巡し、黙してじっとこちらを見つめる王に向き直った。
「返事を……、時間を下さらぬか。まずは夜明けにでもユリナの墓に参る。考えるのはそれからにさせて頂きたい」
王は鷹揚に頷いた。
「急かせはせぬ。だが、我らは強情且つ執拗にて、どうぞ心されるよう」
言葉の重々しさとは裏腹に、王は茶目っ気たっぷりにウィンクを飛ばし、アナンを心底げんなりさせた。

それから、程々のところで(とはいえ、かなりの酒量ではあったが)散会となり、侍従の案内で客間に入ったアナンは、鎧をつけたままどっかりとベッドに腰を下ろした。フゥと長く息を吐く。以前はほぼ毎日身に着けていた甲冑が、酷く重く感じる。アナンはひと呼吸おいてから外套を外し、甲を下ろした。そのまま、後ろに倒れ込むように身を沈める。眠るつもりはなかったが、ユリナの墓に赴く前に身体を休めたかった。
――いや、ユリナの墓と言うには少し語弊があるか。
アナンはうつろに笑った。正確には墓と言うより慰霊塔のようなものだ。神官達の共同墓地とも言える。天に届く程に高い塔の下にユリナは眠っていた。二年もの間、田舎に二人きりで過ごしていたのだから、身内として個人の墓を建ててもよかったのだが、ユリナの強い希望により神官らの眠る塔に葬った。それは、神官の中でも異質な存在として皆より疎隔されたユリナの最後の意地だったのかもしれない。アナンにしてみれば、ユリナは決して不快の対象ではなかったが、強い不信感は心の奥底まで根を張っていたのだろう。だが、いくら考えたところで尋ねられる者を失った今、その真実は知れずじまいなのだが……。
この数年何度も推考し、結局は放棄する疑問に惑わされつつ、酔いに導かれ夢に誘われるまま、アナンは瞳を閉じた。
BACK | NEXT | INDEX
Copyright (c) 2010- Magical S0up All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-