アナン・ジェイコフ異聞------登城01

アナン・ジェイコフ異聞

登城01

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長い廊下を歩きながら、彼の胸に様々な思いが去来した。薄暗いそこでは、カツカツと鳴る靴音と共に記憶が過去に遡っていくような感覚に陥る。そう感じた途端、アナンの歩みは足早になった。辛い過去のそのまた過去にはアナンの最も慈しむべき思い出があったから。楽しかった過去のその時点に戻りたくて、つい駆け出しそうになる。それでも騎士たる威厳を保ちつつ、廊下の壁面に飾られる豪奢な美術品や武具に目をくれることなく、やや俯き加減に急いだ。
カツン――……。
不意に視界が明るくなっていることに気づき視線をあげれば、いつの間にか王の間に着いていたようだ。踏み止まった拍子に打ちつけた踵が、天井高い玄関ホールにやけに響く。
アナンは少し笑みを浮かべた。久しぶりの登城であったが、以前と変わらぬ重厚さと気品ある佇まいが懐かしい。開け放たれた扉の両脇には、常に衛兵二人が槍を打ち立て直立しているのも変わらなかった。
「ここに何用か。まずは名乗られよ」
王の間の前で緊張感なく微笑むアナンに、衛兵の訝しげな声が降りかかる。いかにも若造が来るべきところではないと侮蔑を含んだニュアンスだ。だが、アナンは怯むことなく朗々と声高に言った。
「私の名はアナン・ジェイコフ。王に拝謁を願いたい」
途端に衛兵の顔に失笑が浮んだ。目の前にいる若者は見たところ十七・八。ここまで辿りつけたということはどこぞの<御令息>かもしれない。だが、どうせ田舎貴族が何かの手違いでのこのこやってきたのだろう、彼らにはそう思えた。それに……、
「アナン・ジェイコフ殿はさきの戦の英雄。齢五十を過ぎているはずだ。貴殿は五十どころか三十にさえ見えぬが」
衛兵は更に侮蔑を込めて言った。
確かに衛兵の言葉は正しい。英雄アナン・ジェイコフは現役を退いたものの、元々現国王の指導的立場にあり、国王より年齢的にも上だ。王は現在四十一。この若者が彼を名乗るには到底無理がある。
あからさまな嫌味に対しアナンは怖気づく様子なく、むしろ可笑しげに眉をあげた。
「では、イリュール・レンダー殿との謁見を請う」
やはり青年は音吐朗々と声をあげ、王の側近との謁見を望んだ。
「なっ、陛下のみならずレンダー様を呼びだすか!!」
衛兵は無礼千万と一気に殺気立ち、床に打ち立てていた槍を宙に振りあげた。王の間を守る衛兵ともなれば、その腕の確かさは軍の中でも十指に数えられる力量の持ち主。だが、槍を捧げたときにはすでにアナンと名乗る青年の姿は目前になかった。
「うわっ!」
いきなりビリビリと槍から衝撃が腕へと走り、衛兵二人は思わずその自らの命にも替えられる槍を手から落としてしまった。慌てて拾おうと床を見下ろせば、槍が片方は二つ、もう片方は三つにも割れていた。
「失礼した」
やけに冷静な声が後ろから聞こえ振り返ると、かの青年が寸分も乱れぬ姿で微笑んでいた。腰に提げた剣を抜いた気配もない。そのあまりの平静さに、自分たちの槍を折った不届き者は彼しか考えられないはずが、少しもその予想に自信を持てなかった。
「番兵をからかうのはやめられよ」
突如分け入った第三者の声に、青年が嬉しげに口を歪め、その主を振り返る。衛兵達も彼の視線の先を辿り、その姿を認めた途端、声を揃えて叫んだ。
「宰相殿!」
そこには先程青年が口にしたイリュール・レンダーが立っていた。白金の長い髪を靡かせて佇む姿は美しく、絶世の美女さえも羨むだろう。
「御機嫌麗しく、レンダー殿」
朗らかに挨拶した青年をよそに、イリュールは顔を不機嫌に顰めた。
「からかいはやめられよと申し上げたはず。敬称・敬語は結構。尻がむず痒くなる」
「今や貴殿の方が身分は上だ」
「我が師自ら御身を見くびられては困る。さきの戦での活躍はまだ皆の記憶に新しい」
イリュールに我が師と呼ばれた青年は吐息のような笑みを零した。
一方、衛兵らは砕けた雰囲気の二人を見やり、顔を見合わせる。イリュールの方が宰相という立場に加え十は年上に見受けられるのだが、二人の会話からするとイリュールより青年の方が上位のように聞こえ、二人して首を傾げた。
「相変わらず固いな、イリュール」
「今更身分を持ち出す尊師の方が幾分も固いと思われるが」
生真面目に訂正するイリュールに、青年は肩を竦めた。
「ああ、分かった分かった。お前には口で敵わぬとすっかり失念していた」
「私の方こそ剣では貴方に敵わない。口ぐらい良しとしませんか」
「だから分かったと言っておるだろう。それに、こちらこそアナンで結構だ。尊師とは気分が悪い」
「御意」
慇懃に腰を折られアナンは胡乱な視線を送ったが、イリュールは我関せずとばかりにさっさと踵を返し彼を部屋へ促した。
呆気にとられる衛兵達を残し、イリュールに続いて中に入ったアナンは、思わず目を細めた。城の中でも王の間の造りが最も豪華で煌びやかだ。国の内外に王家の権威を知らしめるための虚飾とも揶揄されるが、実質この国は建国以来、戦後の復興に多少時間がかかったとはいえ、経済が傾いたことはない。以前同様の絢爛さに、国を支える賢王を想い、アナンは頬を弛めた。
磨かれた石の床を二人縦に並んで歩き進めれば、十数段ある幅広の大階段が前方に立ちはだかる。アナンは視線をあげることなく、その場に跪いた。
「アナン・ジェイコフが参りました」
そう言ってイリュールは階段を二・三段あがり屹立すると、最上段にある王座に向かって一礼した。
「ご苦労」
以前より深みを増した声が届き、アナンは心持ち頭をあげた。
「陛下に置かれては御機嫌麗しく、拝顔の栄に浴し恐悦に存じる」
「遠路よく参った」
「恐れ入ります」
「そちに会うのは実に五年ぶり。ずいぶん田舎暮らしが気に入ったと見える」
言葉だけ聞けば非難めいたものだったが、王の口調にそれらしさはなかった。
「都には都の、田舎には田舎の良さがあります。私には田舎の水が合ったのでしょう。とはいえ、長らく不義理を致しました」
アナンは深く首を垂れた。
「今こうして戻ってきたのだ。これからは誠実を持って国に仕えるものと期待する」
「しかと心得ました」
王は長く息を吐き、椅子の背にもたれた。そして、大きく伸びをすると凝った肩を解すように首を左右に捻る。そして、次に王の口から放たれたのは今までとは凡そ違う砕けた口調だった。
「我が師が御機嫌や拝顔などと仰るものだから、すっかり肩が凝りましたぞ」
すっくと立ち上がり、そのまま軽やかな足取りで階段を駆け降りる。
「いつまでそのようにしておられるつもりか。儀礼を重んじよと仰せられたものの、師を跪かせるなど王の資質が問われる」
側に控えていたイリュールは可笑しそうに目尻を綻ばせ、声を張り上げた。
「アナン殿、王命であるぞ。面をあげられよ」
王は慌ててイリュールを振り返った。命令どころかむしろ懇願であるのに何を言うのかと。
「おい、イリュール。命などと言うな。ますます私の立場がないじゃないか」
「いいえ、師にはこれくらいでちょうどいい」
イリュールはしれっと言いのけ、横目にアナンの方を見る。
案の定、アナンは腰をあげた。
「まったく……。国家を率いる者が儀礼や規律を守らずしてどうなさる」
そして、冷たい視線を王と宰相に送る。だが、意に反して二人とも愉快そうに笑みを浮かべた。
「久しぶりでありますな。師の小言は耳に心地よい」
王もイリュールに同意とばかりに頷いた。
「五年もの間こちらから会いにも行かず失礼した」
言いながら一介の騎士に向かい頭を下げる。
「私の苦言は子守唄ではありませんぞ」
一国の王のその姿に、アナンは眉を寄せた。
「もちろんですとも。さぁ、堅苦しいことはここまで。そろそろ師と弟子に戻りませんか」
だが、二人は揃ってにこにこと頬を緩め、アナンを隣接している広間へと促す。
「まったく……」
少しも自分の話を聞いていない風の二人を睨め付け、アナンは盛大に嘆息を漏らした。そして苦笑する。
「まあ、今に始まったことでもあるまい」
だが、二人に導かれるまま広間に入ったアナンは再び眉を顰めた。
「……この後、国賓でもいらっしゃるのか」
目の前にあるのは二十メートル以上あろうかという長テーブル。その上には晩餐会並みの豪勢な料理が所狭しに並んでいた。だが、不審な点が一つある。軽く四十人前はあるだろう料理に対し、設けられているのは僅か三席だった。
アナンの当然な疑問に王は肩を竦めた。
「いいや、我が師だけですな」
「陛下御自ら招請したからには、師こそがまさに国賓でありましょう」
そう言って嬉しそうに席を勧めるイリュールに、アナンは今度こそ頭を抱える。だが、ここまで自分をもてなしてくれる心遣いに対し、大袈裟だからと拒否するのも無粋。アナンは不承不承山ほどある異議異存を喉の奥に押し止めた。
「まったく……」
二人の前では特に口癖になってしまったこれを溜め息交じりに呟くと、アナンは煤ばんだ深紅のマントを撥ね上げ席に着いた。
「さて、私達も席に着くかな」
王とイリュールはアナンが椅子に座ったのを見届け、自らも席に着く。階級を考えれば、アナンが最後に着席しなければならないところだが、彼らは全く気にならないらしい。
アナンの眉がまたもや寄りそうになる。しかし、王と対面で座るのだけは免れたことに、とりあえずは良しとした。
王が上座に着席し、王の右側にアナン、左側にイリュールと、お互いの声が届く距離に座る。アナンはなるべく自分の右側に並ぶ大量の杯盤に目をやらないようにし、王が口を開くのを待った。
給仕が各々の杯に酒を注ぎ終え、王は彼らに下がるように指示するとアナンに向き直った。
「師よ、よくぞ我が元に戻られた。心より感謝申し上げる。祝辞は追い追いさせていただくとして、まずはイリュール」
王が杯を手にしたのを見やり、イリュールとアナンもそれに続いた。
「では、僭越ながら。師の帰城と、国の繁栄を祝し、乾杯!!」
皆視線を交わし、杯を掲げる。そして、一気に美酒を飲み干すと、お互いの再会を喜び合った。
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