恋と窓シリーズ------窓から吹く恋02

恋と窓シリーズ

窓から吹く恋02

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『雫久……』
そう呟いたきり陣野は、閉ざされたドアを開けようとすることなく、遠ざかってゆくのが彼の足音から伝わる。
「明日……、来てくれるかな」
俺はその音が消えるまでドアの側を離れられなかった。もしかしたら戻ってくるかもという、自分勝手な期待から抜け出せなくて――。そして、すっかり足音が消えて、やっと俺はベッドに戻った。しばらく呆として、宙に視線をやる。
「抱いてなんて言ったけど、こんな身体、気持ち悪いか……」
徐にパジャマのボタンを外せば、そこから生々しい手術痕が現れる。胸の中心に真っ直ぐ入った赤黒い痕跡。
「やっぱり、手術やめときゃよかったかな……、なんて」
心臓の弁に難があった為、肥大化した大動脈はリミットぎりぎりだった。手術が怖くても、陣野がずっと薄暗い処置室前で待ってくれていたから、自分も頑張ることができた。そして、意識が覚醒した時に見た、陣野の心底嬉しそうな笑顔に、手術を受けて良かったと、そこでやっと思えたのだけれど……。
ボタンを留め直して、目を閉じた。
外は風が強く吹いているのか、やけに葉鳴りが響く。ざわざわと、まるで落ち着かない自分の心を見透かされているようだ。
不意にコツンと、何かが窓にぶつかる音が聞こえる。石でも飛んできたのだろうと、気にせず目を瞑っていれば、またコツコツと聞こえてくる。今度こそ気になって、窓に目をやれば、曇りガラスに人影が浮んでいた。
身体がそこへ吸い寄せられる。ためらいなく窓を開けた。
「陣……」
陣野は家の側にある木の枝に腰かけていた。
「すいません。俺が打ったボール、そっちに入っていませんか」
「……それって」
懐かしさに目が潤む。四年前、初めて出会った時と同じシチュエーション。
「お怪我は」
「鏡が割れて、ちょっと吃驚しただけだ」
俺はおどけて言った。もちろん、鏡が割れたのは四年前の事。そう言えばあの時、陣野ってば破片で足を刺しそうになって、びくびくしていたっけ。
「中に入りなよ。下りられないんだろ」
そうそう。ここまで木登りしたのはいいけど、突如高所恐怖症になって下りられなくなった陣野を、部屋に招いたのが全ての始まり。
「入っていいのか」
揶揄混じりに言ったのに対して、陣野は真剣な眼差しで俺を見据えた。
「いいよ……。怖いんだったら仕方ない」
「中坊の頃とは違う。今は引き返せる」
「……来いよ。手を貸すから」
陣野は俺の手を素通りし、無言で窓枠に手をかけると、中に滑り込んだ。そして、器用に靴を脱いで下り立ち、裏返しにした靴を部屋の隅に置いた。
「雫久」
陣野が俺に向かって腕を広げ、ふわっと抱き込まれる。俺は眼前に迫った首元に、額を擦りつけた。出会った頃は俺より背が低く華奢だった彼は、今はもう俺の背をとっくに越して見上げるほどだ。
「でかくなったよなあ……」
「何が」
「陣、がさ……。そりゃ、俺の考えなんかお見通しか」
陣野に立ち去られたと思って、悲しいのと安堵したのと気持ちが中途半端に揺れ動く中、それでも木に登ってまで来てくれたことが素直に嬉しかった。
陣野の腕がきつく締まる。
「苦しっ」
「ぜんぜんお見通しじゃない」
ぼそりと陣野が呟いた。
「陣……」
「……大丈夫、なんか言うな」
「え……」
「お前の常套句だろ、大丈夫ってさ。少しも大丈夫じゃない時にばかり、お前は決まって大丈夫なんて言葉使うんだ。自分の気持ちを覆い隠してさ……。そんなことするなよ。俺にだけは気を遣うな。そうされる度に……、胸が凍りそうになる」
さっき陣野の事を追い返した時に言った、『俺なら、大丈夫だから』という科白をはっとして思い出す。それは、特に気にすることなく今まで何度も使ってきた言葉。
「そんな……、別に、なんとなく言っただけで」
「自分の願望も希望も、叶わないとなれば簡単に諦めるだろ、お前は。自分は大丈夫だからと言って、心を閉ざすんだよ」
そう言って陣野は俺を抱き上げる。そして、俺をベッドにそっと下ろした。陣野が俺の真上に被さり、真正面から対峙する。そこで、俺はやっと陣野の顔をまともに眺めた。
悲しみと苦しさが相俟って、いっそ憤っているような表情――。
「お前の願いを聞いてやるから、だから俺の我儘も聞いてくれ。大丈夫だなんて言って俺を切り離すな」
「陣……、んっ」
熱いキスが急降下した。唇を重ねたまま、陣野がジャケットを脱いでベッドの脇に投げ、俺のパジャマのボタンを外してゆく。
なんだか、すごく、泣きたくなった。
陣野は俺の身体を思ってセックスを避けていたのに、俺の心を酌んで抱こうとしてくれている。そう思うと、自分が陣野に酷い事を強いているように思えて、申し訳ない気持ちで胸がつまった。ただでさえ、彼には迷惑をかけているというのに、負担をかけて追い詰めて、更に情けなくなる。
とうとう、涙が零れ落ちた。
「ごめん、陣。ごめんっ」
耳に入ってくる自分の泣き声に苛々する。もっと、ずっと辛いのは陣野の方だ。俺は病気だからと、彼に甘え切っている。これでは完治した時、見放されてしまう。
「嫌だっ。陣、陣、やめて」
乳首を甘噛みされて、喉がくんと上がった。たっぷりの唾液と共に弄られて、身体の芯がじくじくする。引き剥がしたくて陣野の髪を掴んだけれど、仕返しするようにきゅっと食まれて、知らず知らず力の入った腕が逆に彼の頭を抱き込んでしまう。
「そ、そこ、やだっ」
陣野の動きがふと止まり、食い入るように胸を見つめた後、今度は手術の跡を辿って舌先が下りてゆく。嫌悪感を持たれたのではないかと不安で陣野の顔を見れば、熱っぽく見つめ返される。そして、下着を一気に引き下ろされた。
「もういいっ! いいから!」
次の動作が怖くて叫ぶように言ったけれど、陣野は勃起しかけているそれを躊躇なく呑み込んだ。
「あああ……っ」
がくがく、と腰が小刻みに前後に揺れる。久し振りの快感が理性に歯向かって、貪欲に陣野を受け入れてゆく。しきりに陣野が鈴口を舐め、喜んで精液が出て行くのが嫌でも分かった。陣野の舌は縦横無尽で、雁首を舐めていたかと思えば、ぬるりと裏筋を往復して、唇が上下に何度もスライドする。その度に翻弄された。足が力んで浮いた腰が、まるで陣野を誘っているように、ひくひく痙攣する。
「あ、んっ」
そして、陣野は唇から抜くと、会陰を通り尻に向かって舌を滑らせた。
その先にあるのは、更なる快楽の源で――。
「だ、だめ!」
入れられたら、今度こそ止まらない。俺は咄嗟に逃れようと腰を捩った。けれど、陣野に足を掴まれ、がっしりと腰を捉えられてしまう。
「陣っ、ほんとにもう止めて! 後ろは嫌だ。口でするから、放して!」
必死に言い募るけれど、陣野は熱っぽく秘所を見つめると、そこに顔を伏せた。
「い、や、ああっ!」
肉厚の舌が中に侵入して、内側から外へと襞を伸ばてゆく。身体より少し冷えた唾液が、中に入って自分の体温にまで温められるのを感じた。
「も、もう……っ」
散々舐られて解されて、指が一本どころか三本きっちり根元まで入るくらいに、とろとろに溶かされて、そこでやっと陣野の唇が俺を解放する。そして、デニムから財布を抜き、ゴムを取り出した。
「ローションは」
端的に尋ねられて、顔が青くなるのを感じながら、首を横に振る。陣野は身体を倒し、俺の顔を覗き込んだ。すっと目を眇める。
「いつものところだよな」
陣野の身体がローションのある棚に向かって動いて、慌てて伸びた腕を掴む。必死に首を振った。
「もう嫌だよ、陣。止めよ」
「我慢しなくていい」
「本心だよっ。もう、したくな――」
言葉が陣野の口の中に消えてゆく。
「うんんっ」
頭上で抽斗の開く音が聞こえて視線をあげれば、陣野が俺の唇を塞いだまま、片手を伸ばしてローションを掴んでいた。抵抗しようとしたら、弱い耳を食まれて身動きを阻まれる。俺の身体が強張ったのを見計らって、襞にローションを塗りこめられた。そのひんやりとした感覚に腰が縮こまって、差し入れられた指を思わずきゅうと締めつける。あまりに恥ずかしくて目が眩みそうな俺に、更に陣野は見せつけるように小さな四角いセロファンを歯でピリッと破った。バックルを外して前を寛げると、掌で数度扱き上げたそこに手早くゴムを被せた。
「待って!」
逃げようとした足はすぐに捉えられて、身体を軽々ひっくり返される。
「陣……、ごめん。許して、入れないで……。ああっ」
四つん這いになった後ろから腰を押しつけられた。俺の願いとは裏腹に、時間をかけて丁寧に解された尻は、難なく陣野を迎え入れる。襞が密着するように陣野に合わせて収縮した。太い雁首があっさり滑り込み、前立腺辺りを狙って擦られる。快感に呼応して、勃ち上がった前から透明な液が、ぽたぽたとシーツを濡らした。
「行くぞ」
眉間を険しく寄せ、陣野が奥深くまで腰を進めてくる。お腹の中がうねって陣野の形にぴったり沿って絡まるのを感じた。
「う、ああ……」
あまり時間のかからぬ内に、陣野の腰が尻にぶつかる。そして、緩慢な動きで腰を揺すった。
「あ、あ、あ、はあ」
そのゆったりとした動作が却って興奮を煽られる。陣野は俺の前に手を伸ばすと、腰の動きとは違って激しく扱き出した。
身体に負担がないように、けれど確実に快感を与えるように――。
陣野は耐えるように顔を顰め、俺を感じさせることに集中していた。
「じ、ん、陣っ、離して、イク、イっちゃう!」
強引に煽られて、途端に目の前が真っ白になる。
「はあ、あ……」
陣野を待たず一人でイってしまった。陣野は最後の一滴まで俺のを絞り出すと、パンパンに腫れあがったままのものを引き抜く。
「んんっ」
太い部分が襞に引っかかってゾクゾクと身が震えた。支えを失ってベッドに倒れ込みそうになるのを陣野が咄嗟に引き寄せて、シーツが汚れるからとティッシュで残滓を拭う。そして、皺の寄ったシーツに寝転がった。
「気持ち良かったか」
「……ばか。嫌だって言ったのに」
「良かったんだな」
裏を読まれて、陣野の口がニッと吊り上がる。そして、そっぽを向いた俺に気を悪くするでもなく、パジャマのボタンを留め身形を整えると、布団を引き上げた。
「久し振りで疲れただろ。寝てろよ」
ぽんと布団を叩いて立ち上がり、ジャケットを羽織る。
「……寝てろって、陣はまだ」
「俺は適当にトイレででも抜いてくるから、気にするな」
――おばさんが帰って来るまでにどうにかしないと……。
そう言って頭を撫でながら、部屋を出て行こうとする。俺は慌てて陣野の腕を引っ掴んだ。
「俺がするっ」
「雫久……。さすがにこれ以上は」
「俺ばかりなんて嫌だ。それに、俺の我儘、きいてくれるんだよな」
陣野の言葉を逆手にとって脅すように言う。そうでもしないと、陣野はすぐにでも出て行ってしまいそうで、怖かった。
お互い動きが止まり、黙してじっと見つめ合う。
「……そんなの、我儘に入らないだろ」
しばらくして、陣野は諦めを含んだ溜息を吐くと、再びベッドに腰を下ろした。俺は身を起こして、陣野の前に座る。無理やり服に押し込まれた竿を取り出した。
「まだ、大き……」
被されたままだったゴムをベリッと剥がして、先端に口づけた。ゴム風味の後から、慣れた陣野の味が口を占める。舌を滑らせながら、血管の浮き立つ根元を扱いた。
「裏舐めて……、そう」
俺の必死の奉仕に、陣野は余裕なのか、わざわざフェラする俺の身体に冷えないようにと布団を被せ、無理するなと言わんばかりに頭を何度も掌で撫でつけてくる。けれど、時折きゅっと俺の髪を掴み、息が短くなってきたのを機に、俺は頭を激しく上下した。陣野の身体がベッドヘッドに倒れ込む、そして――。
呻き声と共に、俺の唇を白く濡らした。
「不味いだろ。出せよ」
ティッシュで後始末をした後、重ね合わせたスプーンのようになって二人してベッドに潜り込む。
「どこか痛むところはないか」
気遣わしげな声で陣野が言った。
「ううん、大丈……じゃなくて、どこもないよ。……ごめん、陣」
「いいさ。本音を言えば、俺もしたかったんだしさ」
「でも、初めは拒否してたから……」
「初めは、な……。けど、雫久に何かしてやりたいっていう気持ちが大本だから、抱く抱かないどちらにせよ、俺としては満足なんだよ。ただ……、お前の身体が心配なだけでさ」
腰に巻かれた腕がぎゅうと締まる。
「……簡単には死なないよ。知ってるだろ」
「ああ……。でも、あっけないのも知っている」
陣野の家は母子家庭で、彼が幼い頃にお父さんを亡くしている。詳しく聞いた事はないけれど、彼が自分の懐に入れた者に対して甘いのは、きっとその事に起因しているのだと思う。極端に言えば、自分を含めて急に誰が欠けても後悔のないようにと……。
「我儘は言うけど、無茶は言わないようにする」
でも、そんな陣野の考えは俺を寂しくさせる。もし自分がこの世から消そうになった時、陣野にどう恩返ししてゆけばいいのだろう。
「そこまで気にするなよ。自然でいてくれ」
そう言うと思った。俺が好きでやってるんだから気にするなって……。でも、俺だってお前のように頼れる存在でありたい。
「うん……。陣、車の免許取れよ」
「……は。いや、取るけど」
戸惑った声が背中から聞こえて、こっそりと笑みを浮かべる。
「それから、大学近くに美味しい店探しておくこと。あと、高台で景色いいんだったよな。写真いっぱい撮ろうな。それから――」
陣野が俺の前に身体を移してきた。真摯な瞳で見つめられ、滑らかだった口が止まる。
「『それから』の次はなんだ」
「え……、と。……忘れた」
「なんだ、もう終わりか」
陣野はどこか気障ったらしく眉をあげた。
「……いっぱいあるよ、忘れただけで……。思い出したら言う」
「たくさん言ってくれ」
俺はこくんと頷いた。
陣野に頼られるのはまだ少し難しい。けれど、俺が彼を頼る事によって喜んでもらえるなら、何度でもいくらでも我儘を言おう。
「……今日、陣が撮ってきた画像が見たい」
陣野は目尻を笑みで綻ばせると、腕を床に下ろしてバッグの中身を漁った。
日も暮れて、電気の明るさの中で見る画像は、さっきと違って鮮明に大学の風景を映し出す。
「楽しみだね……」
「そうだな」
病気がちだった自分にとって遠い存在だった大学が、画像を見る事によってより身近いものへと変わってゆく。
――構内を陣野と手を繋いで歩きたい。
今、自分の中での最大級の我儘を、いつ言おうか、言ったら陣野はどんな顔をするだろうか、そんな事を想像しながら、一枚一枚の風景の中に自分と陣野の姿を空想した。


-了-


次話の出だしは陣野の中学生時代へと遡ります。
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