恋と窓シリーズ------窓から吹く恋01

恋と窓シリーズ

窓から吹く恋01

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『あ、俺。寝てたか』
「ちゃんと起きてたよ」
ベッドのうえで横向きになり、携帯を耳の上に乗せながら、俺は少々ふてくされて言い返した。
『微妙に不機嫌だなあ。しょうがないだろ、今日になって急に冷え込んだんだしさ』
「陣が過保護すぎるんだよ。年下のくせに」
『手術してまだ一月も経っていないんだぞ。心臓に負担がかかる』
「……わかってる。まったく母さんより手強いな、陣は」
『雫久(しずく)は病気慣れしているから、軽く見がちなんだよ。俺ぐらい慎重で丁度いい』
「はいはい、ご親切なことで。それより、そっちはどんな感じ」
耳にたこができるほど聞き慣れた陣野の小言をさっさと遮り、今日の本題を尋ねる。
『ああ、ネットでも見たけど、建物がレトロでいいよ。周りに自然も多いし、なんたって高台だから景色がいい』
「そっか……。実際に見てみて、もっとそこに入りたくなった、とか」
『そうだな。けどさ、駅から大学がちょっと遠くて、坂も多いんだよ。徒歩じゃきついし、バスも揺れるからなあ。となれば、近くに駐車場を借りるか……。これはおばさんと要相談だな』
「もう受かるの決定なんだ」
『俺はね。問題は雫久の方』
心臓が悪くて高校を休むことが多かった俺は、御世辞にも成績がいいとは言えない。少なくとも陣野よりは。それを一番わかっているはずの陣野は、さらりとそんな事を言う。嫌味っぽくない言い方が却って嫌味だ。
「……むかつく」
『冗談だよ。俺がついてる』
「いくら陣野がついてたって、がんばるのは俺なんだけどね……」
『だったら、がんばれ』
「うわ、適当にあしらわれたし」
『どこが。被害妄想だろ』
「被害妄想とか言ってる時点で、下に見てるから」
『お、バレたか』
「あのねえ……。もう、今日は来なくていい」
『だから、真に受けるなって。写真たくさん撮って帰るからさ。一緒に見ようぜ』
俺が不機嫌丸出しにすると、途端に陣野の口調が諭すような穏やかなものになる。俺の方が二つも年上だっていうのに、そんな風に言われれば、引かざるを得ないじゃないか。
「……待ってる」
でも、なんだか素直になれなくて、ぶっきら棒に言い捨てると、ピッと通話を切った。携帯を枕元に放って、天井を仰ぐ。そのまま目を閉じて、瞼の裏に陣野の姿を描いた。
「ほんと、甘いんだから……」
陣野は周囲の人間を甘やかすのが上手だ。特に、俺に対しては病気持ちなのもあって過剰だと思う。気配りも細やかで、しかもそれを相手に気遣わせない。彼の外見からすると、ガタイが良くて眉間がいつも寄り気味だから、近寄りがたく感じるけれど、笑えば急に瞳がきらきらと輝いて子供っぽくなり、話せば多少口は悪くとも気さくでぐっと親近感が湧く。傍に寄り添うだけで、不思議と胸がほの温かくなって心地いい。昔からその印象はあまり変わらないでいる。
初めて陣野と出会ったのは彼が中学生の頃。野球をしていた彼の打った球が、学校のフェンスを越え、校舎の側に建つ俺の家まで飛んできたのだ。ボールを探しに木伝えで、二階のこの部屋に入ってきたのが、陣野だった。友達らしい友達もなく、唯一交流があるのは従兄だけだという状況だった俺にとって、突然現れた彼の存在は新鮮で、惹かれるのに時間はかからなかった。
あれから、もう四年――。初めの内はもしかすれば同情心から俺に付き合ってくれていたのかもしれないけれど、少なくとも今はそうじゃないと思えるだけの気持ちを陣野から貰っている。だから、高校を卒業して病気療養に専念していた俺が、今になって大学に行きたいと思うようになったのは、陣野の浮気を疑うというよりも、彼の隣に俺以外の誰かが居座るという状態をつくりたくないのだという、年上なのに狭量な、とても本人には言えない独占欲からだ。
「陣野が身につける、あのマフラーやピアスになれればいいのに……」
これまで、誕生日やクリスマスにあげた品々を思い浮かべる。それらは揃いも揃って、衣服やアクセサリー等、直接肌身を飾るものばかりだ。もちろん、恋人の存在をいつでも自覚していて欲しいという願いを込めて、俺が意図的に送ったもの。陣野はそんな俺を慮っているのか、常に俺から貰った何かを付けてくれている。陣野がそうしてくれているのを確認する度に、俺はこっそりほっと安堵するのだ。でも、大学に入れば陣野の視野は広がってゆくだろう。新しい出会いがあり、友人も増えるはず。そうなれば、俺の事など二の次三の次、次第にはどうでもいい存在になってしまうかもしれない。そう思うと怖くて、無理してでも陣野と同じ大学に行きたかった。
「早く帰ってこいよ……。陣」
不安だとか寂しさだとか、追いやりたくて俺は彼にプレゼントされたパーカー風のニットを握りしめ、逃れるように眠りに就いた。

ふと、さわさわと前髪が風に靡いているのに気づき薄っすら瞳を開くと、夕暮れ時の気だるい陽光が部屋に射し込んでいた。ぼんやりとした視界の中、窓際に立つ人型の黒いシルエットが目に留まる。一つ瞬きしてクリアにすれば、すぐにそれが誰だか判った。
「陣……」
ゆっくりと陣野がこちらを振り返った。
「起きたか」
陣野が言いながら、数歩も歩かない内にベッドの傍らまで辿り着く。そして、俺の顔を覗き込んだ。
「身体の具合は」
「悪くないよ。心配性だな」
陣野は目を眇めて俺の顔色を探ると、大丈夫だと悟ったらしく、頬を僅かに上げて笑った。
「具合が悪くても、平気そうにする癖がついているからなあ、雫久は。こっちは気が抜けねんだよ」
「前にも同じようなこと言われたし。それに、今はちゃんと言うようにしてるだろ」
「分かってる。ありがとな」
「……礼を言うことか」
「それでもだ」
「陣……」
俺は思わず視線を逸らした。陣野の顔があまりにも優しく微笑んでいて、居たたまれなくなる。陣野のこういうところがずるいと思う。口で言い包めるのも上手いけれど、こうして表情や空気から言葉以上の事を伝えるようなところがあるから。
「どうした」
急に口を噤んだ俺を、陣野が怪訝そうに見下ろしてくる。俺はなんとなく口にしづらくて何でもないと首を振ると、さっきまで陣野が行っていた大学について尋ねた。
「電話でも話したけど、いろんな意味で環境が最高。建物はレトロでも設備は整っているし、図書館も充実してたな。まあ、食堂はまあまあだが」
「不味いの」
「不味いというか、給食レベル」
「なるほど」
「飯は外へ食べに出てもいいし、一応査定外、だな」
「食堂がいいから受験するっていうのはあるかもしれないけど、不味いから受けないっていうのは聞かないもんね」
「そういうこと。写真も撮ってきたぞ」
「食堂だけ」
「もちろん、他にも」
陣野は鞄からカメラを取り出して、ベッドの端に座った。液晶に画像が映し出されるように操作する。
「見難いな……」
横から液晶を覗いてみれば、窓から射す光の量が多すぎて、画面がほとんど黒にしか見えない。身体で陰にしてみたり、手で覆ってみても、あまり効果はなかった。
「すぐにでも見せたかったんだが、これじゃ無理だな」
陣野は残念そうに溜息を零した。
「今日一日貸してよ。晩にでもゆっくり見るから」
「いや、どちらにせよプリントアウトするつもりだったから、改めて明日写真にして持ってくる」
「お金かかるし、いいって」
「別に、俺も見たいしさ。また明日な」
そう言って陣野は諦めよく電源を落とすと、カバンに放り込んだ。そして、俺の隣に身体を投げるようにして横たわる。その寛ぐ様子に、この時間帯にしては珍しいと思って時計を確認すれば、予想以上に時間が過ぎていた。
「バイトがあるんじゃないのか」
気を遣って言ったつもりが、こともなげに「今日は入れてない」と返ってくる。
「お母さんは」
「今日は帰られないってさ」
「そう……」
陣野のお母さんは看護師さんで夜勤も多いから、その間、学費を稼ぐついでにバイトで時間を潰していると彼は言う。
「だったら、晩飯食べて行きなよ」
「今日は残念だけど、家で用意してあるからやめとく。今日中に食べないと傷むからさ」
「……そっか」
俺があからさまに残念な顔をしたのだろう、陣野は困ったように顔をしかめて俺の頬を柔らかく抓んだ。
「その顔やめろよ。帰りづらくなるだろ」
「だったら、泊まっていけばいいじゃん」
わざとらしく頬を膨らませてみる。自然と陣野の指が外れ、その顔に苦笑が浮んだ。
「……どっちが年上なんだか」
「恋人だし、対等でしょ」
いつもは年上として立場がないと言いながら、都合良く真逆を口にする。
「あのなあ」
「じゃあさ、帰るのは許すから、代わりにお願い聞いて」
代替案が咄嗟に閃く。すると、目の前の男前が、はっきりと不審そうな表情になった。
「……何だよ」
「嫌々だなあ。そんなとんでもないこと言うつもりはないよ」
「早く言えよ。今すぐ帰るか、ゆっくりしてから帰るか、聞いてから決める」
「微妙に酷いし、信用ないし」
「それで」
俺は少しだけ唾を飲んで、小さくお願い事を口にした。
「キスして……っ」
言った途端、唇に柔らかいものが覆い被さる。
間近に陣野の伏せられた瞳があって、それが唇だと知った。自分で望んだ事なのに戸惑っている内に、するりと熱い舌に歯列を割られる。同時に耳朶をくすぐるように揉まれて、思わず顔を逸らせば、逃すまいと重ねた唇が追ってきた。
「じ、ん……」
久し振りのキスに堪らず喉が鳴る。苦しげな声で言うと、陣野の口が僅かに離れた。
「ずっとしたかった」
唇が触れ合う距離でそう囁かれて、すぐさままた舌を差し込まれる。
『ずっとしたかった』
その言葉にずくんと胸が疼いた。夢中になって陣野に応えようと、必死で首にしがみついてキスを交わす。喉から出るのは喘ぎ声ばかりで、なかなか「俺もだ」という一言が紡げない。やっと唇が解放されたときには、間が開き過ぎて言えなかった。
陣野は首の付け根に唇を移すと、俺の上に全身を預けた。腰を両手で抱き締めて、小さなキスを繰り返す。子供が親に抱きつくような仕種が、少し微笑ましい。俺に母性なんてものはないけれど、きっと今胸にあるような感情がそれに近いのではないかと思えてくる。普段は陣野に甘えてばかりだから、たまにこうして甘えられると酷く嬉しい。
俺は陣野の頭を撫でながら、もう一つのお願いを叶えてもらおうと息を整えた。
「陣、もう一つお願いが……」
「却下」
言おうとしたところで、陣野に冷たく遮られる。
「まだ言ってないだろ」
「言われなくても分かる」
陣野にむっとした口調で言い返された。
「なんだと思ったの」
陣野は身を起して俺の顔を見ると、ごく真面目な顔で「抱けません」と言った。
思わず目が点になる。
それが突飛な答えだったからではなく、ずばり的を射ていたから。陣野は俺をじっと見つめ、そして、やれやれといった具合に、それは深く溜め息を吐いた。
「やっぱり、そうか」
「……悪かったね、単純で」
「そりゃあ、もう、長いつき合いですから」
「………。」
俺が恨めしげに陣野をにらめば、陣野は俺の肩口にある枕の隙間にもふっと顔を埋めて、肩を揺らした。クククと喉で笑っているのが漏れ聞こえる。
「忍び笑いの方がむかつくんですが」
拗ねて言ってみても、笑いは止まない。そのあまりのしつこさに、なんだか本格的にむかついてきた俺は、陣野の肩を掴むと、力いっぱい押しやった。
「もう、むかつく! しつこい奴は出てけっ」
ぎゅうぎゅう押すけど、俺よりウエイトのある陣野を追いやるのは至難の業だ。胸との間に隙間ができるくらいで、なかなか本体まで剥がすことができない。
「分かった分かった。そんなに拗ねんなよ」
そう言って陣野は一度きつく抱き締めると、あっさりと俺を手放した。再び見えた陣野の顔はまだ笑っている。
「拗ねてない」
口を尖らせると、陣野は苦笑に替えた。
「分かったって。しつこい俺は退散するからさ。じゃ……、明日な」
不意に重みが無くなる。
「え……」
もっともらしいようで明らかに不自然な行動に言葉を失った。さっさと起き上がり陣野の視線がドアに向いたのを、気抜けになって見守る。だが、ベッドを離れ陣野が一歩踏み出したところで、無意識に彼のジャケットを握っていた。
「雫久……、どうした」
心持ち眉を下げた陣野が俺を振り返る。
『どうした』だなんて、それはこっちの科白だ。俺の出てけっていう言葉にまるで便乗したみたいに、本当に帰ろうとしなくてもいいじゃないか。
「なんで」
「なんでって、今日は帰るって言ってただろ……。それに、また明日――」
「だったら……」
視線を逸らして言った。
「だったら、なんで抱いてくれないんだよ」
陣野が固まったのがジャケット越しに伝わってくる。一瞬間を置いて、陣野はゆっくりと俺の手を解いた。そして、ベッドの上に腰かける。
「まだ手術して一月しか経ってないだろ」
体調の悪い時によく聞く、宥めるような声色。
「……も、う、一月だ」
「せめて、あと半月」
「待てない」
「雫久……」
陣野が長く息を吐いた。困っているのがびんびん伝わってくる。
今まで陣野は俺の身体を抱くのに随分と気を遣ってくれていた。陣野に遠慮なく抱いて欲しくて、それもあって手術に踏み切ったというのに、これでは本末転倒だ。
「俺……、馬鹿なこと言ってるのかな……」
でも俺は、陣野が家族並みに俺の身体を思ってくれていることを、誰よりもよく知っている。人一倍心配してくれているから、時には意に副わない事も言ってくれる。
俺は短く息を吐くと、笑顔を陣野に向けた。
「陣、分かったよ。もういい、帰っていいよ。また明日ね」
迷惑かけているのも知っている。大切にされているのも知っている。だから、こんな些細なことで嫌な思いをして欲しくない。
「そう言われたら、帰り難いだろ」
陣野の顔が歪む。
「俺なら、大丈夫だから」
俺は顔に笑みを張り付けると、陣野の背を追いやった。両手を突っ張って、その間に顔を挟む。そうしないと、浮かんだ涙が零れそうだ。
「おい、雫久」
陣野が慌てて俺を押し止めようとするのを、無理に部屋の外へ追い出した。そのまま、鍵を閉める。
「ごめん、陣。明日、待ってるから。それまでにはちゃんとしとくから」
こんな時でさえ陣野は優しい。力ずくで俺に敵わないはずがないのに――。その事が今は胸に痛い。
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