HAPPY SWEET ROOMT------19 潰れた目玉焼き

HAPPY SWEET ROOMT

19 潰れた目玉焼き

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「ん、んん……、お腹すいた……」
朝特有の白い光に目を眇めて時計を見上げると六時半だった。
「ま、ぶし……」
眩しさから逃れたくて顔を枕に埋める。でも、簡単にはそうできなくて不思議に思っていると、ロッセの腕が腰に巻きついていた。
「今日は早いのか」
掠れてても美声なロッセの低音が頭上から下りてくる。
「ううん……。午前の講義は休講になってたし、今日は昼からで大丈夫」
「ならもうひと眠りとしよう」
ロッセがさらに抱き込んでくるのを、腕を突っ張って押しのけた。
「お腹すいたし、ご飯食べる」
俺はうとうとしつつ、のっそりと腰を上げた。ベッドの上で手近にあったスウェットを拾って着こむ。
「起き上れるか。無理をするな」
布団をはがしたところでロッセが俺を引き留めた。
「いつも起きてんじゃん」
何を言ってんだか……。ロッセを横目に睨んでいざ立とうとした。
けど――。
「――えっ」
膝が折れてそのままペシャンと尻をついた。
「ち、ちからが……、入らない」
「だから言っただろう」
困ってロッセを振り返ると、呆れ交じりにベッドに引き上げてくれた。
「だっていつもは平気なのに……」
「昨夜はとくに体に力が入っていたからな」
確かに……。意識がけっこうはっきりしていた分、抵抗しようと変に力んでいたような……。
でもそれってさ――。
「だってロッセがすんなり中に出してくれなかったから――……なに笑ってんの」
ロッセの愉しげな笑みが視界に入った。
――なんで?
何か間違ったことでも言ったかなと、自分の言葉を頭の中で反芻してみる。
『ロッセが中に出してくれなかったから(こんなことになったんじゃん)』
言い替えるとつまり――
<アレを中に出して欲しかった>
ということで……。
………。恥っ!!
うわっ、わわわっ!!
ななな、なに言ってんだよ、俺っ! 素面で言うセリフじゃないだろっ、バカバカー!!!
自分の失言にアワアワなっていると、ロッセが俺を抱き寄せながら「悪かった」なんて謝ってきた。
――目が笑ってるし……。そんなこと一欠片も思ってないだろうよ……。
「……ロッセのバカ、エッチ」
精一杯の悪口を言ってはみたものの、失言の後となれば情けなさで自然と弱々しくなる。
「そう拗ねるな。詫びに朝食でも作るとしよう」
ロッセはチゥ♪なんて可愛らしいキスを俺の額に押しつけると、すっくと起き上がってシャワーを浴びに行ってしまった。
「……もっとなぐさめろよなー」
傍にいられるのも恥ずかしけれど、腰痛で一人取り残されるのも昨夜のことをまざまざ実感させられて、恥ずかしさが倍増しするじゃん。しかもそんな俺を尻目に、ロッセってばさくっと起き上がれるくらい元気だしさ……。
俺は再びもふっと布団の中に潜り込んだ。
こうなれば――
「朝ご飯できるまで不貞寝してやるっ(ほとんど意味なし)」
ブーブーぼやいていると、すぐにシャワーを浴びる水音が聞こえきて、しばらくするとキッチンがトントンコトコトとにぎやかになる。
「朝飯なにかなー。……ん?」
待ち遠しくキッチンから漂ういい香りに浸っていたら、そのなかに少し焦げたようなにおいがまじっているのに気づいて首を傾げた。
あれ? 焦がしたのかな。ロッセならそんなドジやらないはずだけれど……。
「……ロッセ?」
ちょっと心配になって布団の中からこっそりキッチンの様子をうかがってみると、ロッセがコンロの前で一点を見つめたまま呆と立っていた。
「ロッセ?」
もう一度声をかけたけど反応がない。ますます心配になって今度は強めに呼んだら、やっとこっちに気づいてくれた。
「ああ……、どうしたセイタ」
どこか覇気のない様子を訝しく思いつつも、ロッセを見上げてフライパンを指差した。
「どうしたじゃないよっ。それ、フライパンのなか焦げてない?」
「フライパン……? おっと! ……しまったな」
慌ててロッセはフライパンをシンクに移すと、水道の水を流し込んだ。見た感じ差し水程度の量だったけれど、熱く焼けた上だったから、もうもうと湯気が立ち上る。
「なに焼いてたの?」
ベッドの中から尋ねたら、ロッセが情けなさそうな顔で「目玉焼きだ」と答えた。
「どれ、ちょっと見せてよ」
目玉焼きくらいなら、焦げた部分だけ外せば食べられるはず。そう思ってロッセを呼び寄せる。ロッセはいかにも渋々と言った感じでフライパンを俺の目の高さにまで下ろした。それをフムフムと検分する。
「これくらいなら大丈夫でしょ。焦げ目だけ取ってさ。はがすとき黄身が破けちゃうかもしれないけど、直接パンに落としたらオッケーだよね」
「悪いな……」
「悪くなんてないし。俺、手伝おっか?」
「気持ちは有り難いが、もう起きられるのか」
「う……っ」
「あとは盛りつけるだけだから、寝ておけ」
ロッセは唸る俺の頭を軽く叩くとキッチンに戻って行った。チンとトーストの出来上がる音がして、再び火にかけて水分を飛ばした目玉焼きをその上に乗せると、俺のもとに来て腰を屈めた。
「セイタ、私の首に掴まれ」
「うん」
素直にすがりつくと、ロッセは俺を抱き上げて食卓へと運んでくれた。
「先に歯を磨きたいなぁ」
「今日だけは食後にしたらどうだ。まだ足腰が立たないだろう? 私が支えてやってもいいが……」
そう言われて、ロッセが召使のごとく俺の歯を磨く画(妄想)を脳裏に描いてみる。
……ないない。
「いいよ……。なんか気持ち悪いし」
「……気持ち悪いとはどういうことだ」
向かいに座ったロッセの眉が不審げに寄る。
「こ、こっちの話っ! さ、食べよ。いっただっきまーす!」
俺はごまかすように大声を出して、トーストを引っ掴むとがぶりと齧りついた。
「焦げ感ぜんぜんないよ。普通においしいし」
にかっと笑顔を送ると、ロッセはやれやれといった具合にため息をついて俺にならった。
「ぜんぜん無くはないだろう。まあ、食えなくもないが……」
トーストを置いて紅茶を一口飲む。
俺はその様子をトーストを齧りながら見つめた。
一見普段と変わりない。
――日常の光景、いつも通りの朝。
でも……。
昨晩といい今朝といい、あきらかにロッセの様子が変だ。
「ロッセが失敗するなんて珍しいじゃん。さっきは何か考え事でもしてたの? そういやさ、昨日の晩もテレビ見てるとき、なんだかボーとしてたしさ。なにか悩み?」
ロッセはまた小さく吐息をついた。
「セイタに心配されるようになるとは……、私も末期だな」
「あ、それすげー失礼だぞ! せっかく心配してたのにっ、損した」
すねましたというアピールで顔を背けると、ロッセは冗談だと言ってカップを置いた。
「心配か……。むしろ、心配なのは私の方だな……」
「え……?」
どういうことかと思ってロッセを見上げる。
ロッセはゆっくりと頬杖をついて物憂げな眼差しを窓の外にやった。
「とても気になる人がいるんだ」
これまでにあまり見たことのない表情――。
胸の奥がざわざわする。
それって、まさか……。
「……好きなひとが出来た、とか――?」
顔色を窺うように、おそるおそる尋ねた。
――気になる人って、やっぱりそうだよね……。
けれど、思い切って聞いた俺に対して、ロッセはフッと苦笑を零して否定した。
「そんな理由ならばよかったんだが、そうじゃない」
「なんだ、ちがうんだ……」
なんとなく安心して肩の力が抜けた。自分の想いを告白するつもりは今のところないけれど、そういう話はあまり気持ちのいいものではないよね。
「私の……育て親とも言うべき人間なんだが――」
俺が一喜一憂(?)しているのに気をとめず、ロッセはやはり視線を外に向けたまま話を続けた。
「以前から体を患っていてね、それが最近になってずいぶんと悪化しているらしい」
俺は椅子の上で少し畏まった。
「……大丈夫なの、その人」
ロッセはあまり向こうでの生活を語らない。だから、身内の話をするのは珍しくて――。
「いや……。前回向こうの世界に戻ったのはヴィゼー……その育て親のことだが、容体が悪く最期かもしれないからと帰っていたんだ。それが奇跡的に持ち直してね、一安心と思っていたら昨日仲間のエゼスから連絡がきて、いよいよ長くはなさそうだと――」
ロッセの話を聞きながら、俺はどこか釈然としないものを感じた。
「それって……、悠長に飯食ってる場合じゃないんじゃないの? しかも昨日の話だよね」
普通なら何を置いても駆けつけるでしょ……。
けれどロッセは暢気とも言える仕種でフォークを取り上げサラダを刺した。
「ああ、そうだろうな」
気味が悪いくらいに無表情で淡々とした仕種――。
その姿に今度は胸がむかむかしてきた。
「会いに行かないの?」
「腹が減っているからね」
はああ? ナニ言ってんの……。
「でも、長くないんでしょ?」
ロッセがシャリシャリとレタスを咀嚼する。
「これを片づけるくらいの余裕はあるさ」
そして、今度はトマトに手を伸ばした。
ムカムカムカムカ……。
――余裕ってナニよ。あんたにはあっても向こうにはないだろ!!
俺が怒るのはお門違いだとわかっちゃいるけどさ、言わなきゃ気がすまんっ。
「要は危篤なんだろ? 早く行けよっ!!」
ムカムカが頂点に達した俺は、拳をテーブルに叩きつけた。いっせいに皿とカップが音を立てて浮く。
ロッセは突沸した俺に驚いたような顔をしたけれど、すぐにまた何を考えているのか解らない表情に戻った。
「……行くさ。本当に間際になればな」
「間際!? もうじゅうぶん間際だよね? 長くないって言ってたじゃん」
瞳を見据える俺をじっと見返し、ロッセは徐にフォークを置いた。陶器に当たってカチンと鳴る。そして深く椅子に体を沈めると、再び視線を窓の方へ流した。
「今までも同じような事は何度もあったんだ……。お前の言う通り、その度に駆けつけたよ。もちろん前回もだ。……だがな、セイタ」
自嘲するように口が歪む。
「そう何度も向こうに渡っては、まるで彼の死を待っているみたいじゃないか……。そうは思わないか」
思わないよっ。無関心を装う方がよっぽど問題あるしっ。
「でもっ、ぼんやりとしてしまうくらいに気になるんだろ? 目玉焼き焦がすなんてことやらかすくらい心配なんだろ? だったら――っ」
「もちろん悲しいし辛いさ。だが、医者でもない私に何ができる。ただ祈りを捧げ、天に彼の命を委ねるだけだ。それならば……、私は彼より託されたことをしたい」
「託されたことって――」
意志のこもった瞳がこちらに向いた。
「残された子供達を立派に育てることだ。そもそも私がここに居る理由の一つでもあるしね」
身を乗り出していた俺の肩に手を置いて、ロッセは力を込めるとゆっくり俺を椅子に座らせた。
「お前が心配しなくても、ヴィゼーとはもう駄目だと言われるたびに別れの抱擁をし、必要な言葉も彼に遺してきている。だから、セイタ……。これ以上私を惑わせないでくれ。本意ではないが……、納得はしているつもりだ」
「ロッセ……」
「もし本当に今度こそ最期だとなれば、すぐに連絡するようユーイッドやエゼスに頼んである。だから、今は何も言わないでくれ」
「そんな……」
「これでもヴィゼーにはそれなりに孝行してきたし、亡くなって出来ることもある。もし天に召されることになれば、魂を弔い花も手向けよう」
そう言ってロッセは外界を遮断するように静かに瞳を閉じた。
俺にはロッセの言う意味が解らなかった。最後に会える一度きりのチャンスをなぜ拒否するんだろう。多少戻るのに困難を伴ったとしても会おうと思えば会えるのに……。
「ねえ、ロッセ……、俺にはロッセの言うこと理解できないよ……。俺なら会いたいし、本当に最期ならそれが何度目でもちゃんと別れを言いたい。ロッセ……、間に合うなら、少しでも可能性があるなら……、そのときは真っ先に戻ってあげてよ。俺からのお願い。この世界の全部を投げ出しても行ってあげて。一生のお願いだよ。ダメ? これっきりだからさ、これっきりぜったい一生のお願いなんて言わないから。ロッセ、お願いっ」
俺は肩に乗ったままだったロッセの腕をギュッと掴んだ。真剣だと伝わるように、瞳を閉じたロッセに自分の気持ちが伝わるように――。
「なぜ……、なぜお前がそんなにも必死になるんだ」
ロッセの瞳がうっすら覗いて、俺の手のひらから掴んでた腕が抜け落ちた。
「そんなの、ロッセが馬鹿なこと言うからに決まってるじゃないか」
「そんな馬鹿を言ったか」
「言ってるよっ。どうしてもあっちに行くのが怖いって言うんなら、俺もいっしょに行ってやる!!」
そしたら今までの覇気のなさが嘘のように、ロッセはきつい眼差しを俺に向けた。けれどそれはほんの一瞬で……、再び波の無い湖のような色味に戻る。
反射的にわかったと言ってくれるんじゃないかと期待して挑発したけれど、あっさりとは引っかかってくれなかった。
俺は酷く悲しかった。あんたはしようのない頑固者か天の邪鬼か、それとも年端のゆかない子供かと言いたい。ロッセの言葉はただ行きたくないという言い訳を並べているだけのように聞こえた。もしかしたら行けないもっと深刻な理由があるのかもしれないし、単に死に立ち合いたくないだけなのかもしれない。けれど、今のロッセを見ていれば、行かないで後悔をするのなら、行って後悔する方が正しいように思えた。
しばらくの間、お互いが譲らないとばかりに見つめ合った後、そして――……。
ロッセは胸にある感情の塊を吐き出すように深く息を吐いた。
「……わかったよ。まったく……、お前というやつは――」
そうして出された言葉は渋々だったけれど、充分俺の満足ゆくものだった。
それと共にロッセの瞳にいつもの穏やかさが訪れる。
俺はほっと胸を撫で下ろし、にっかりと得意満面に笑った。
「だって、俺というやつはここの家主みたいなもんだよ? 権力ありありだからさ。行かなきゃ部屋に入れてあげないもんねっ」
エヘンと偉ぶって言うと、ロッセは肩をすくめて潰れた目玉焼き乗せトーストを齧った。
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