HAPPY SWEET ROOMT------00 マンション角部屋1LDK
HAPPY SWEET ROOMT
00 マンション角部屋1LDK
「本当にここでいいんですかぁ?」
不動産屋のお兄さんは元々八の字に垂れた眉をさらに下げた。だが俺はそんなお兄さんの困った顔に負けず力強くこくんと頷く。
マンション角部屋1LDKで一人暮らしには十分の広さ、しかも駅から徒歩五分ときたもんだ。さらに魅力的なことに家賃が月三万円!! ここをかりずして、どこをかりる。ぜってー逃すもんか。この物件以上にいいところなんてきっと見つからない。それにこれからまた他の部屋を探す時間もない。この際、幽霊が出ようが、赤ん坊の夜泣きがひどかろうが、隣が連日パーティをしてようが構うもんか。
俺はぎゅっと拳を握り、勢い込んで背高のお兄さんを睨みあげた。
「ここが気に入ったんです! さっそく契約させてください」
「……後で何が起こっても知りませんよぉ」
お兄さんは大きくため息をついて、社用車(営業用自転車)に跨った。
「本当にお勧めではないんですがねぇ。いや、こう言うと営業マンとして問題があるんですけど……。なにかと問題が多いんですよ、この物件は。立地がいいし賃貸料が安いですから、それに皆さん靡いてしまうんだなぁ」
最後の方はほとんど独り言になってしまっている。お兄さんがぶつぶつと呟き、何やらマイワールドに入りながら徐に社用車を漕ぎ出したのを、俺も慌てて貸してもらった社用車(年式昭和のやっぱり自転車)で追いかける。
歩いた方が早いんじゃないかというくらいの鈍足っぷりで走ってゆくお兄さんの後をやっぱりゆっくりとついてゆく。さわさわと春の柔らかい空気を、割くというよりかは分けるように漕いだ。まだ午前中の新鮮なその空気に自分の境遇を重ね合わせて、少しこそばゆくなった。
この春から晴れて大学生だ。ぴかぴかの一年生。家を出るためにわざわざ家から通うには遠い大学を受け、念願の、そして初めての一人暮らし。
俺は思わずにんまり笑った。さて、あの部屋のレイアウトはどうしようか。まだ入居したわけではないのに夢はどんどん膨らむ。
まずはベッドだよな。他の家具は家から持ち出すとして、ベッドだけは今後できる予定の彼女のために少し大きめのセミダブルにしたい。部屋も決まったことだし、さっそく明日にでもベッドを買いに行こう。それから、ベッドカバーはどうしようか。兄ちゃんの話だと清潔感のある色がいいって言ってたな。黒は好きだけど、あれが付いたら目立つし、やっぱここは無難に白かな。それから、やっぱソファも欲しいよなぁ。ソファであれこれっていうのも男の夢(?)だしさ。ベッドに合わせて買っちゃうか。それからムード出すために間接照明買って、ティッシュやゴムを置く棚かサイドテーブルもいるよな。あー、なにかと物入りだ、バイト探そ。そういや、駅前で―――。
「―――おぉい。紺野さん! 紺野静太さんっ!!」
「ぅわはい!!」
「店を通り過ぎてますよー」
慌てて自転車のブレーキを握り後ろを振り返ると、お兄さんが二十メートル後方で手を振っていた。どこへ向かっているのかと思っていたら、今日の出発点である不動産屋だったらしい。慌てて自転車をUターンさせてお兄さんの所へ急いだ。
「店に戻ったということは契約してもいいんですよね?」
俺が期待を込めてお兄さんを見れば、いかにも渋々といった感じで頷いた。そんなヤル気なしで営業やってて大丈夫かと思うが、今はそんなことよりも部屋の契約の方が重要だ。俺は気が変わらないうちに(あくまでお兄さんの)早く契約の手続きをとってしまおうとお兄さんの腕をむんずと掴み、店内へと半ば嫌がるお兄さんを無理やり引っ張って行った。
テーブルカウンターの席に俺が座ると、お兄さんがやれやれと奥の事務所に入って行き、書類を持ち出してきた。
「一応、告知義務があるから、あの部屋の難点について言っておきますね」
お兄さんは俺の向かいの席に座りながら、書類をぱらぱら捲った。俺はあの部屋に問題があっても契約を取り消すつもりはないから、むしろ不要な話は聞きたくないところだけれども、そこは義務だし素直に『はい』と頷いた。
「あそこはね、実は―――」
お兄さんはもったいぶってそこで言葉を切り、ずいっと俺に顔を近づけてきた。思わず俺はごくりと唾をのみ込む。
「人が消えるんですよ」
「――人が消える?」
「そう。失踪したのか逃げたのか分からないけれど、急に住んでる人が居なくなるんです」
「……なんで?」
「なんでと言われても、居住者の消息はつかめないし、見つかったとしても、なんで失踪したのか理由を言ってくれないんですよ」
「なにか酷い目に遭ったのかなぁ」
「酷いというか――。なにか現実として受け止められないことがあったような感じですかねぇ」
「………ふぅん」
現実として受け止められないこと、ねぇ……。やっぱ幽霊の線が濃いかなぁ。
だが、俺は幽霊とかそういった話にものすごく疎い。生まれてこのかた、そういった現象に出会ったことがないし、怪談を聞いてもいまいちピンとこない。それに幽霊が出たとしても、中学高校と剣道をやっていたから、ある程度体は鍛えているし、素手だと多少柔道部の奴らには劣っても、剣道で培われた間合いや隙をみるのは得意で喧嘩も強い方、反撃できると思う。だからとくに幽霊が苦手ということはない。俺は心の中で心霊現象くらい大丈夫だと腹をくくった。
そんなこんなで、お兄さんの言う怪談にほとんど耳を傾けることができなかったんだ。
だけど――――。
このことが俺を後々大きな災難へと導くことになる。でももちろん、このときの俺に知る由も術もない。時すでに遅しといえど、俺は叫びたい。
お兄さんっ、なんでもっと強く引き止めてくれなかったんだよぉおおお!!
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